■ 唐招提寺(とうしょうだいじ)
奈良市五条町にあり鑑真が建立した寺院で、南都六宗の一つであります律宗の総本山です。奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財が保存されています。
鑑真和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜され、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。
ご本尊は、廬舎那仏、開基は、中国・唐出身の僧鑑真で、晩年、ここで過ごされました。
当初は、鑑真和上の私寺で、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。
平安時代中期には、一時荒廃しました。鎌倉時代中期の寛元2年(1244年)に、律宗の高僧で、四条天皇からも崇敬を受けました覚盛によって再興されました。本格的な整備は、覚盛の後を継いだ証玄の尽力によります。
鎌倉時代末期には、真言律宗出身の護持僧(天皇の側近の僧)である文観房弘真の推挙があり、後醍醐天皇からの庇護を受け、元徳2年(1330年)に覚盛に対し「大悲菩薩」の諡号が贈られました。
その後、南北朝時代および戦国時代の戦乱によって再び衰退してしまいました。しかし、江戸時代中期に、唐招提寺で学んだこともある護持院隆光を通じ、第5代将軍徳川綱吉とその生母である桂昌院の帰依を受けました。元禄11年(1698年)には戒壇院の再興が行わています。
江戸時代後期には火災などにあいましたが、明治時代から昭和時代にかけて再び整備がなされ、重大な歴史と文化財を有する重要寺院として、今日に至っています。
鑑真の生涯や唐招提寺は、井上靖の小説『天平の甍』(1957年)を通じて、おなじみに人が多いでしょう。1998年には、古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されています。
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