依水園 後園池 |
氷心亭横から見る築山
挺秀軒や氷心亭を繋ぐ小径を進むと
急に視界が開けます。
後園池です。
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■ 後園
「後園」は、明治時代に実業家関藤次郎が、茶の湯と詩歌の会を愉しむために作った築山(つきやま)式の池泉回遊式庭園です。(築山とは、土砂を小高く盛り上げて築いた人工の山のこと)
挺秀軒、清秀庵の露地を抜けると広大な空間が現れます。遠くに見える若草山、春日山や御蓋山(みかさやま)、隣接する東大寺南大門までをも借景とし、池とそれに映る木々や広がる空までも取り込んだ贅沢な空間です。
築山の奥には小さな滝があり風景の一部となっています。池に沿って、氷心亭、寄り付き、依水園碑、水車小屋、沢渡り、など、さまざまな景色を演出した作庭者の計算された意図を感じられます。
(公式サイトを基に作成)
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後園池中島
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中島の畔の松は、後園池には不可欠
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柳生堂の前から池越しに見る寄付(よりつき)
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氷心亭対岸の睡蓮と花菖蒲
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依水園と花菖蒲 |
■ 後園
「後園」は、明治時代に実業家関藤次郎が、茶の湯と詩歌の会を愉しむために作った築山(つきやま)式の池泉回遊式庭園です。(築山とは、土砂を小高く盛り上げて築いた人工の山のこと)
挺秀軒、清秀庵の露地を抜けると広大な空間が現れます。
遠くに見える若草山、春日山や御蓋山(みかさやま)、隣接する東大寺南大門までをも借景とし、池とそれに映る木々や広がる空までも取り込んだ贅沢な空間です。
築山の奥には小さな滝があり風景の一部となっています。池に沿って、氷心亭、寄り付き、依水園碑、水車小屋、沢渡り、など、さまざまな景色を演出した作庭者の計算された意図を感じられます。
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依水園後園池の飛び石と花菖蒲
花菖蒲が見頃でした
寄付の屋根が見えます。
手前右には睡蓮の葉が浮かんでいます。
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後園池の象徴的な小松と睡蓮
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柳生堂の前から後園池を見る
丸い礎石にような石が、他にもあります。
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その昔、東大寺には高さ100mを超える東西2つの七重の塔がありました。
焼失した西塔の中心に立つ心柱を支えた礎石、「心礎」の一部と云われる礎石が依水園後園の池の護岸石に残されています。
巨大な七重の塔を支え、焼失後も元の場所より離れた所から1世紀以上も東大寺を見守り続けてきた心礎です。
心礎の残りの部分は、大阪に運ばれたと伝わっています。(公式サイトを基に作成)
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飛び石も丸く、石臼のようにも見えます
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後園の飛石、沢渡りには挽臼石などを用い、周囲に配したサツキや阿亀笹(オカメザサ)などの刈込みの手入れを怠らないようにすることで、明治らしい庭園風情をしっかりと残 しています。(公式サイトを基に作成)
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花菖蒲が中島の両端に群生しています
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茅葺屋根に鮑(アワビ)
依水園の建屋の茅葺屋根には、いくつもの鮑の貝殻が乗せられています。
茅葺き屋根の天敵はガラスです。ガラスにとって茅は巣造りや遊びにもってこいの材料、そのガラスを防ぐためにガラスが恐れる鷹の目を模して、鏡のように磨かれた鮑の貝殻を屋根に上げています。
さらに火事に弱い茅葺屋根のお守りとして、水につながる海のものである鮑、特に伊勢神宮でお供えする神饌の鮑を屋根に上げる風習もあります。古くからの日本人の知恵と信仰心が屋根の鮑なのです。(公式サイトを基に作成)
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依水園 庭園いろいろ |
柳生堂の前を流れるせせらぎ
海雲稲荷など上流からの流れが後園に注ぎ込む
せせらぎのひとつ。
他方のせせらぎは、水車小屋横の小滝
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開運稲荷の方向から小径に沿って柳生堂の方向への流れ
いろいろな形をした石が処々に配されています
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流れは右に左にと配されています。
開運稲荷の方向を見る
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開運稲荷の方向から柳生堂方向を見る
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水車小屋の後のせせらぎは
やや広くなっています。
流れはここから、柳生堂方向と小滝方向に分岐しています。
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石橋が園内の散策をしやすくしています。
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せせらぎの分岐点から開運稲荷の方向を見る
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依水園の築山と東大寺 |
柳生堂前から築山を見る
築山とは、土砂を小高く盛り上げて築いた人工の山のことです。
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築山
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氷心亭横から築山方向を見る
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後園からは、東大寺の南大門が見えます。
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氷心亭横から後園池越しに築山を見る
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