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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
奈良県  奈良公園 興福寺 
公式サイト パンフレット 関連資料(秘) 

 興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つである、法相宗の大本山寺院です。南都七大寺の一つに数えられる、奈良を代表する寺院で、世界遺産の一つです。

 その前身は、飛鳥の「厩坂寺(うまやさかでら)」であり、さらにさかのぼりますと天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。

 山階寺は、天智8年(669)に、藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられています。この名称は、今日でも興福寺の別称として使われています。

 壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺とされました。さらに、平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられたのです。

 天皇や皇后、また藤原氏の人々の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられるまでになりました。


 所在地  奈良県奈良市登大路町48番地
 山号   無し
 宗派   法相宗
 寺格   大本山
 本尊   釈迦如来
 創建年  天智天皇8年(669年)
 開基   藤原不比等
 札所等  西国三十三所第9番(南円堂)
      南都七大寺第2番
      西国薬師 四十九霊場第4番(東金堂)
      神仏霊場巡拝の道 第16番
      大和北部八十八ヶ所霊場 第62番(菩提院)


文化財

 五重塔、木造弥勒仏坐像、乾漆八部衆像ほか(以上国宝)、南円堂、木造薬王菩薩、薬上菩薩立像ほか(以上重要文化財)

アクセス

 近鉄奈良駅 東改札より徒歩

JR奈良駅 奈良交通市内循環系統に乗り5分県庁前下車





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興福寺 中金堂

 中金堂パンフレット 

■ 中金堂

 藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するための、興福寺伽藍の中心的な堂宇です。

 創建以来たびたび焼失と再建を繰り返し、7度の火災に遭い、江戸時代の享保2年(1717年)の火災で焼失した後仮再建のままでした。後に東金堂・西金堂が建てられてからは中金堂と呼ばれるようになりました。朱色に塗られていたため「赤堂」も呼ばれ、親しまれていました。

 興福寺国宝館の開館(1959年)までは、高さ5.2メートルの千手観音像をはじめ、興福寺国宝館で現在見られる仏像の多くを堂内に安置されていました。

 2010年に着工し、2018年10月に落慶、約300年ぶりの復興を果たしました。仮金堂内の諸仏を新・中金堂に移しました。本尊である釈迦如来像を、新たに金箔を貼りなおし、薬王・薬上菩薩像(重文)、四天王像(国宝)などが安置されています。

木造薬王菩薩・薬上菩薩立像(重文)
 像高3.6メートルの巨像。現在は本尊釈迦如来像の両脇に安置されていますが、本来は廃絶した西金堂本尊・釈迦如来像の脇侍として、鎌倉時代の建仁2年(1202年)に造立されたものです。

木造四天王立像(国宝)
 鎌倉時代の運慶の父、康慶作といわれていましたが、この四天王像の当初の安置場所や作者は不明です。



単層裳階付き寄棟造
桁行:9間 梁行:6間
創建:和銅3(710)年
再建:平成30(2018)年



本尊・木造釈迦如来像に、
薬上菩薩と薬王菩薩の脇侍
四方は四天王
その間に田尾国天と吉祥天が立っています



南円堂前から見た中金堂

興福寺 中金堂内陣と外構


本尊である木造「釈迦如来像を、新たに金箔を貼りなおして公開しています

像高:283.9cm
赤尾右京作 寄せ木造り 漆箔 彫眼
江戸時代 文化8年(1811)


■ 木造釈迦如来像 本尊

 中金堂創建当初の本尊は、藤原鎌足が蘇我入鹿の打倒を祈願して造立した釈迦尿雷蔵と伝えられています。現在安置される蔵は5代目になり、平成30年の再建に合わせて修理されました。
 二重円光の透かし彫りの向背を付け、宣字形(せんじがた)の裳懸座(もかけざ)に結跏趺坐しています。左手は、膝の上で掌を上に五本を伸ばし、右手は臂を曲げ、五指を伸ばし、前方に向けています。

■ 木造薬王菩薩・薬上菩薩立像(重文)

 像高3.6メートルの巨像。現在は本尊釈迦如来像の両脇に安置されていますが、本来は廃絶した西金堂本尊・釈迦如来像の脇侍として、鎌倉時代の建仁2年(1202年)に造立されたものです。
 良薬を人に与え、心と身の病気を治してくれる兄弟の菩薩様です。

■ 木造四天王立像(国宝)

 鎌倉時代の運慶の父、康慶作といわれていましたが、この四天王像は南円堂にありましたが、当初の安置場所は不明です。



ご本尊・釈迦如来像 と法相図

前に立つ柱に仏教界に貢献した人の岩絵具による絵があります
平成28年に完成し、貼り仕上げが平成30年の行われました。
高さ: 6.8m  周囲 2.45m



中金堂の鴟尾(しび)も立派です

創建は和銅3(710)年、平城遷都と同時に
藤原不比等により創建



風鐸(ふうたく)

風鐸とは、仏堂や仏塔の軒の四隅などにつるす
青銅製の鐘形の鈴のことで、「宝鐸」ともいいます

中金堂と仮講堂


国宝館横から見た中金堂と仮講堂

講堂再建の計画があるようです。



中金堂の直ぐ裏に立つ仮講堂
ここにあった仏像は、中金堂や国宝館に移されています。

中金堂の回廊跡


回廊跡 東側

現在、中金堂を囲む回廊はありませんが、礎石はキチンと残っています。



回廊跡 南側

中金堂回廊南東角から西方向
南円堂・一言観音堂が見えます



回廊跡 南側

東方向には、東金堂と五重塔が見えます
右手は南大門跡


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