光前寺門前のそば屋で腹ごしらえ
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玄関を入って直ぐ
石灯籠というより現代オブジェ
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光前寺 仁王門 |
車窓から見た光前寺仁王門
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■ 仁王門
昭和十九年の再建。門内にある仁王門は、寺院を守護する金剛力士像が安置されています。室町時代、七乗門院雲慶十三代慶延法眼作。
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仁王門
門前市をなす、というほどではありませんが
結構たくさんの参拝者がいるのに驚き
古くは武田・羽柴家等の武将の保護を受け、
特に徳川家からは地方寺院としては破格の扱いを受けた
寺院だけのことはありそうと期待が膨れます
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仁王門手前右手の石碑
金毘羅大権現の文字が刻まれています。
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■ 権現 (ごんげん)
権現は、日本の神の神号の一つで、神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号をさします。
「権」という文字は「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを示します。
インドのバラモン教やヒンドゥー教の神々は「天」という神号をもっていますが、大乗仏教では「天部」として取り入れています。日本の神々が、日本仏教に取り入れられた際に、本地垂迹思想に基づき権現という神号が多く用いられてきました。
民間信仰では、地域の名士や不慮の死を遂げた人物などが死後に権現として祀られる例も見られます。ちなみに徳川家康は、「大権現」と呼ばれています。
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■ 金毘羅大権現 (こんぴらごんげん)
金毘羅権現は、琴平山(象頭山)の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神様のことです。本地仏は不動明王、毘沙門天、十一面観音など諸説があります。
祭神は不詳ですが、「大物主(三輪大明神)」という説が現在では有力です。
神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、讃岐国象頭山松尾寺金光院(現在の香川県琴平町の金刀比羅宮)を総本宮とする日本全国の金毘羅宮および金毘羅権現社で祀られていました。
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仁王門
光前寺は、「霊犬・早太郎」「ヒカリゴケ」とともに、
その庭園の美しさでも知られています。
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光前寺仁王門の扁額
光前寺は、天台宗(比叡山延暦寺末)で、
開基は本聖上人(ほんじょうしょうにん)
山号は、宝積山(ほうしゃくざん)
ご本尊は、不動明王で秘仏です。
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阿仰仁王像
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阿仰仁王像
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吽形仁王像
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光前寺 大講堂 |
大講堂
仁王門をくぐって直ぐ左手に
端正な建物である「大講堂」が見えます。
地方の寺院にしては立派な講堂です。
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大講堂
地方の寺院にしては立派な講堂です。
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■ 大講堂
大講堂には、阿弥陀如来が祀られる阿弥陀堂でもあります。昭和五十五年の本尊・不動明王の御開帳記念事業として建立されました。
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入母屋造りの甍は美しいです。
右手の紅梅が満開でした。
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桜にはまだ早かったですが
大講堂の紅梅は見事でした。
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紅梅の赤も美しいですね。
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紅梅が真っ盛りで、桜には少々早すぎました。
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有名な光前寺のしだれ桜(ポスター)
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大講堂の前に
草太郎伝説の石碑がありました
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大講堂より一段低いところにある庭園は
手入れが行き届いていました。
サクラの季節は、さぞかし美しいでしょう。
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奥に仁王門が見えます
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遠くに南アルプスの山々が見えました
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光前寺 参道とヒカリゴケ |
左手に大講堂(阿弥陀堂)を見ながら
参道を進みます。
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参道は、日光を連想させるような杉並木となっていました
奥正面は三門
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参道右手は「苔の古道」と名付けられ
早春の割には苔が綺麗でした
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左手の建物は、本坊の「客殿」
右手の建物は本坊への門
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↑ 拡大
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■ 自然探勝園
参道左手、境内の南側には11haもある、探勝園があります。県の環境保全地区に指定され、自然を活かした遊歩道です。
ところどころに広場やあずまやなどが配され、自然に親しむことができるようになっています。
残念ながら、時間がなくて、そちらへは行かれませんでした。
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三門前から見る参道
右手に見えるのは別院
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光ごけ
三門からみて参道の左側の石組みの間から
ヒカリゴケが見られます。
4月上旬でしたので、この時期は、ほとんど見られませんが
幸いなことにチョコッと見ることができました。
4月中旬から11月上旬にかけて
光線に反射して、神秘的な光を放って、よく見えるそうです。
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