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私のサイトへの訪問をありがとうございます。
へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。
他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。
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仙台市は、宮城県県庁所在地で人口108万人を擁しています。東北地方債大の都市であり、政令指定都市でもあります。杜の都、学園都市といろいろな顔を持っています。
仙台市公式ページ
http://www.city.sendai.jp/index.html
仙台市観光情報
http://www.sentabi.jp/modelcourse/
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仙台市 青葉城址 |
伊達62万石の居城で、仙台市の西部に位置しています。仙台城は青葉城と親しまれています。天守閣はありませんが、石垣が残り、再建された脇櫓が、白としての威厳を見せています。
政宗の騎馬像は、多くの人が写真で一度は見たことがあるのではないでしょうか。青葉城資料展示館は、青葉城の復元映像や各種資料を見ることができます。
詩人土井晩翠の像と文学碑もあります。
本丸跡からは、仙台市内を一望でき、太平洋も遠望できます。
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追加資料1 追加資料2 |
青葉城址入口 |
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仙台城(青葉城)は、鎌倉時代には「千体城」、
後に「千代城」と呼ばれるようになりました。
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青葉城詰門(つめのもん)跡に立つ
護国神社の石鳥居
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17世紀から明治初期まで、伊達家の居城でした。
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詰門(大手門)側の石垣上から、国際センター方向
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大手門脇城壁
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青葉城址 広場 |
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伊達62万石の居城、仙台城(青葉城)。今では石垣と再建された脇櫓が往時をしのばせます。
政宗公騎馬像の横に立てば、天下取りの野望に燃えた政宗公と同じ視線で、市街を展望できます。
また、青葉城資料展示館では、コンピューターグラフィックスによる青葉城復元映像などが見られます。周囲には仙台ゆかりの土井晩翠の文学碑も。本丸跡からは仙台市内、太平洋を一望できます。(仙台市サイトより)
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城から城下へ出るには大橋を渡って行きます。
当時の大橋は現在よりやや北(左手)にありました。
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宮城県庁方向
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正宗騎馬像前の説明看板
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仙台駅方向
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青葉城址 見聞館・資料館 |
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大手門方向から訪れますと、最初に迎えてくれるのが見聞館という資料館です。ここで、仙台城(青葉城)に関する情報を入手できます。 |
青葉城見聞館パンフレット |
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見聞館を抜けますと、大広間の遺構展示場に出ます
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遺構展示場の横に石垣の一部が展示されています。
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大広間の石組み
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見聞館内部の大広間模型
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追加写真 |
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本丸の一部は、清水寺のような懸け作りでした |
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仙台市 青葉城址 正宗像・土井晩翠像 |
青葉城のハイライトは、本丸跡に立つ甲冑姿の正宗像でしょう。
正宗の300回忌記念の像は、戦中に金属供出されましたが、
方が残っていましたので、それを利用して再鋳造されました。
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右奥が詰門方向、左手奥が本丸跡方向
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堂々とした正宗騎馬像
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正宗像の台座には、正宗のレリーフ
左右に一対の狛犬
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台座の右レリーフ
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台座の左レリーフ
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狛犬
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追加写真 |
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青葉城址 土井晩翠像 |
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土井晩翠は、瀧廉太郎の荒城の月の作詞家としてよく知られています。もとは「つちい」でしたが、昭和初期に「どい」と改称しました。
漢詩風の晩翠、女性的な詩風の藤村と呼ばれ「藤晩時代」を築いたことはよく知られています。
私が卒業した高校の旧校歌が晩翠の作詞でした。
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青葉城址 広場 |
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昭忠碑
明治35年に建造
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東日本大震災で鳩が塔上から落下し、大破
現在は基壇上に置かれています。
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仙台市 青葉城址 護国神社 |
戦死者を祀る招魂社として建てられましたが、
昭和14年に護国寺になりました。
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青葉城の入口には、護国神社の鳥居があります。
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本殿
伊勢神宮の外宮「風宮(かぜのみや)」の旧正殿が下賜された
一見したときに、ずいぶんと立派な建物に驚愕
それを知り、納得
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