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■■ 裏方丈庭園
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前庭は、白砂を敷き詰めただけの単調な造りです。そのために法堂を一層浮き上がらせる効果があります。
白砂で反射した光を室内に取り入れる役割も果たしています。
【ウェブサイトより】
方丈は、北三室、南三室の六間、『六間』取りで、広さは一畳四方ではなく、表方丈と裏方丈をあわせて168畳あります。
追加写真1 追加写真2 |
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■■ 開山堂
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開山堂は、開山夢窓国師の木像を安置しているお堂です。
写真正面は、庫裡ですが、その手前右側にあり、境内で最も重要な建物です。(小さいはめ込み写真が開山堂)開山堂の左側(西)が法堂です。
【サイトより】
応仁元年(1467)応仁の乱の兵火で焼失し、寛文六年(1666)後水尾天皇が、皇子桂宮第三世穏仁親王のために再建されましたが、又天明八年(1788)天明の大火で焼失します。
現在の建物は江戸時代末期に桃園天皇の皇后、恭礼門院の黒御殿を賜って文化四年(1807)に移築、仏堂として用いられるように増築や一部改造を行なったものです。
開山堂の南庭は、手前が白砂敷きの平枯山水、奥部が軽くなだらかな苔地築山となっています。 |
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■■ 法堂(はっとう)
5回の焼失により、現在の法堂は、豊臣秀頼により慶長10年(1605)に寄進されたものです。日本における法堂建築では最古のものです。
【サイトより】
法堂は、無畏堂と称して本来畏れることなく法を説くためのお堂であり、又説法によって衆生が煩悩の苦しみから離れて生き返り蘇生する願も含まれ、講堂的役割を果たしています。また当山は仏殿なきあと、これを兼ねている為本尊を安置して、本堂と称しています。
初建は1391年であり、「法雷堂」と称しました。その後4度の兵火等によって焼失して、現在の建物は天文20年(1551年)の兵火による焼失後、1605年(慶長10年)に徳川家康の命により豊臣秀頼が米1万5千石を寄進して、5度目に再建された建物です。
法堂建築としては最古であり、明治43年に特別保護建造物、昭和4年に旧国宝、昭和25年に文化財保護法によって重要文化財に指定されました。
法堂は基壇「乱積」の上に建てられているので、法堂の姿が一層よくまとめられ、美化され、威厳を増すのに役立っています。高さは22Mとなっております。
構造は桁行7間、梁間6間、単層、1重もこし付,入母屋造り,本瓦葺きの禅宗様建築であり顕著にその様子が至る所にうかがわれます。又、別に桁行4間、梁間1間、1重、切妻造、本瓦葺の玄関廊がついています。 |
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■■ 法堂 須弥壇(しゅみだん)と蟠龍図(ばんりゅうず)
法堂(はっとう)の中の正面に須弥壇があります。三方に階段があります。
仏殿がないので法堂の須弥壇の中央に、ご本尊である運慶作の釈迦如来(像高110cm)が、左に阿難尊者(あなんそんじゃ)を、右に迦葉尊者(かしょうそんじゃ)を従えています。
西の壇には達磨、臨済、百丈、開山夢窓国師、東の壇には、大権修利菩薩、足利義満の像が祀られています。
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■ 法堂 蟠龍図 狩野光信筆 径 約9m
龍は仏法を守護する空想上の瑞獣で、八部衆の一つです。
天井には、鳴き龍の名で有名な蟠龍図があります。狩野光信(永徳嫡子)の筆です。円相内にその全容をくっきりとえがき出されていて、彩色も実に綺麗に残っています。
須弥壇に向かって左手前で、手を打つと龍が鳴きます。手のひらを窪ませて打つと良く鳴きます。位置がちょっとずれるだけで鳴き声を聞くことはできません。
八方にらみの目のため、どの位置からも睨まれた感じがします。また、その方向も見る角度により異なり、人間の目の錯覚を上手に利用しています。
【 注 】 写真は、パンフレットより作成
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■■ 庫裡
庫裡は「香積院」と呼ばれています。
切り妻が目立ち、大きい破風と壁面が特徴です。
左におお玄関が付けられています。(左工事中は方丈)
総門を入ると正面に見えます。
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■■ 浴室 「宣明(せんみょう)」
浴室は一名「宣明」と呼ばれ、1400年頃創建されたと伝えられています。現在のものは、慶長初年(1596)に再建、平成14(2002)年6月に復元修復されました。
中には、サウナ式の風呂場が、小屋状になって作られていて、沸かした湯を床下に流し込み、その蒸気を使ったり、ひしゃくで湯をすくって躰にかけての入浴となります。
妙称寺の明智風呂に行ったことがありますが、相国寺の風呂場の方が大きいように思えます。
【ウェブサイトより】
「宣明」とは、宋の禅宗建築を描いた巻物「大唐五山諸堂図」の中で風呂を描いた「天童山宣明様」という図にあるように、浴室の別名です。
首楞厳経のなかに、十六人の菩薩が風呂の供養を受けた際、跋陀婆羅菩薩を始め菩薩達が忽然として自己と水が一如であることを悟ったことが記されています。そのときの跋陀婆羅菩薩の言葉に「妙觸宣明、成仏子住」とあり、宣明とは明らかであり、はっきりとしている言う意味です。この故事にならい禅宗寺院の浴室は宣明と呼ばれ、跋陀婆羅菩薩をお祀りしています。
禅宗では「威儀即仏法」といい、日常の立ち居振る舞いすべてが修行の場であり、浴室は寺院の伝統的な伽藍配置の建物の一つと言うだけでなく、修行の上で「心」と「体」の垢を落とすという意味で、重要な役割を果たしています。
この宣明を称せられるのは、皇室、及び将軍家に限られ、足利義満が創建した相国寺の浴室も宣明と称せられました。 平成十九年(2007)に京都府指定有形文化財となりました。
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■■ 承天閣美術館
承天閣美術館は、相国寺に附属しています。
【ウェブサイトより】
絶海中津や横川景三といった五山文学を代表する禅僧や、如拙・周文・雪舟らの日本水墨画の規範を築いた画僧を多く輩出し、地理的にも、文化的にも京都の中心に在り続けてきました。このような600年余の歴史により、中近世の墨蹟・絵画・茶道具を中心に多数の文化財が伝来しています。
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相国寺参道・方丈 |
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