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私が訪れた名所旧跡をご案内します。

ケイタイのカメラで撮影していますので画質があまりよくありません。私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。

〒602-8222 京都市上京区堀川通一条上ル806
9:00〜18:00 http://www.seimeijinja.jp/

 晴明神社に祀られている安倍晴明は、孝元帝の皇子大彦命(おおびこのみこと)の御後胤で、陰陽師として知られています。映画等を契機にその名が知られるようになりました。天文暦学に通じ、神道を思いのままに操る霊術を身につけていたといわれています。

 晴明神社は晴明の屋敷があったところで、後に千利休の屋敷となりました。

 晴明は稲荷大神の生まれ変わりであると信じられ、晴明死後、一条天皇が彼の遺業を評価し、鎮魂のために晴明神社を創建しました。資料によると東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売という広大な地域が神社の土地であったという記録が残されています。

 晴明神社は、応仁の乱の後、秀吉の都造りや度々の戦火によって、次第にその規模が縮少されてしまいました。 

パンフレット1】 ←クリック
パンフレット2】 ←クリック

(晴明神社公式サイトより)
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■■ 一の鳥居
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 何処の神社にもありそうな石造りの鳥居です。

 鳥居の額には神社名などが通常は入れられます。ところが、安倍晴明と桔梗印は不可欠ですが、社紋である桔梗印が金色に輝いていました。

 この桔梗印は「五芒星」として知られています。

【Wikipedia】 五芒星

5つの要素を並列的に図案化できる図形として、洋の東西を問わず使われてきた。世界中で魔術の記号とされ守護に用いることもあれば、上下を逆向きにして悪魔の象徴になることもある。悪魔の象徴としてとらえる際には、デビルスターと呼ばれることもある。また、外側の5つの三角形が星の光彩を連想させることから、星を表す記号としてよく用いられる。

【五芒星】 パンフレットより ←クリック

■■ 旧・一條戻橋
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 一條戻橋というと、テレビドラマに出て来るせせらぎを思い浮かべます。(一條戻橋 ←クリック)

 ところが、晴明神社へ行って驚き、かわいい橋が架かっていました。立て看板をよく見ると「旧」という文字が入っていました。平成7年に橋の架け替えの時に、その時の橋のミニチュア版をここに作りました。昔の風情をそのまま残そうという思いやりを感じます。

 源頼光の四天王の一人といわれる渡辺綱が、鬼女の腕を切り落とした場所といわれています。

 「戻る」という言葉が嫌われて、お嫁入りの列は、この橋を渡らない慣習が続いています。

 この写真の戻橋の左側にあるのが式神石像です。

■■ 式神石像
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 旧・一條戻橋のたもとにちいさな石像があります。「式神石像」といいます。

 少々薄気味悪い像です。それもそのはず、式神石像は、陰陽師が使う精霊で、我々の目には見えません。

 式神は、橋の下から渡る人を占っていました。

 もともとは清明が使っていたのですが、清明の奥さんが式神を怖がり、清明により橋の下に封じ込められてしまったのです。

■■ 晴明井と手水舎
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 清明井は、病気の人を救おうと、晴明が陰陽術を使って、水を湧出させた井戸といわれています。

 この水を飲むと病気が直るというので、それを持ち帰る一階までもいます。水がわき出ている方向は、その歳の恵方です。すなわち毎年立春の日に恵方の方向に向きが変えられます。

 ここは、千利休の屋敷跡で、秀吉によりこのあたりで切腹させられました。

 因みに聚楽第は、この晴明神社の南の方角に建てられました。

 手前は、手水舎です。

【陰陽五行説】 パンフレットより ←クリック
 
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■■ 晴明神社 本殿
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 晴明神社の本殿は、当然のことながら五芒星の桔梗印がデンと付けられています。提灯だけではなく、あちらこちらに付けられています。

 晴明神社のある当たりは「西陣」地区ですが、応仁の乱で大火にあっていますし、それ以外にもたびたび火災に見舞われています。

 現在の本殿は、1905(明治38)年に再建されたものです。

【関連写真】
 本殿遠景 本殿内  
 

■■ 末社 齋稲荷社
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 本殿のすぐ左(北側)には齋稲荷社が末社としてあります。

 お稲荷様他二神が祀られています。晴明は、お稲荷様の化身といわれていて、日本各地の稲荷信仰として生活に根付いています。 

 「齋(いつき)」という言葉は、晴明神社公式サイトには「お稲荷様が、齋院(さいいん)・鴨神社に仕える齋王(さいおう)がおこもりする場所にあったことに由来」と説明されています。

 

■■ 安倍晴明公像


 安倍晴明というのはもちろん実在の人物です。晴明神社に彼の肖像画が残されていて、この像は、その画を元に制作されました。

 目は前方遠くを見ていますが、天体の様子を見て観測しているのかもしれません。

 手は、衣装の下に隠れていますが、印を結んでいるといわれています。

【Wikipedia】

 安倍 晴明(あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら、延喜21年1月11日〈921年2月21日〉
 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉)は、平安時代の陰陽師。『晴明』を『せいめい』と読むのは有職読みであり、本来の読み方は確定していない。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。官位は従四位下・播磨守。


【安倍晴明】 パンフレットより ←クリック
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■■ 厄除桃
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 中国では、昔から桃に魔除け・厄除けの力が宿るとされています。陰陽道でも、これを踏襲しています。

 古事記や日本書紀にも桃が魔物を追い払うと言うことが記述されています。

 吉備地方に言い伝えられている桃太郎の昔話を知らない日本人はいないでしょう。桃から生まれた桃太郎が鬼、すなわち邪鬼を退治するという話の中に、桃の力を表現しているのでしょう。

 清明の厄除け桃を撫でることで、その御利益を得ようとしてか、桃は地金が露出してピカピカと光っていました。

【立て札】

 古事記・日本書紀・桃太郎伝説にあるように、古来陰陽道では桃は魔除・厄除の果物とされています。
 厄年の方に限らず自身の厄をこの桃に撫でつけて下さい。

■■ 御神木


 
本でを正面に見て右側、すなわち北に大きな楠があります。これが晴明神社の御神木です。

 推定樹齢300年と言われています。

 桃に厄除け効果があると既述しましたが、楠は樟脳の原料で、虫除け効果があります。

 樹皮に触れると大樹の力を感じとれるような気がしました。

 この御神木には切断した部所はありませんが、楠の切断面を擦ると樟脳の臭いがします。どこかで楠の切断面があったら試してみて下さい。
 
■■ 桔梗苑


 晴明神社の処々に五芒星がありますが、ここでは「 桔梗印」と呼んでいます。それにあやかり、本殿を正面に見て左側(南)に桔梗苑があります。御神木と対になった形で位置しています。

 境内には約2000株の桔梗が植えられているといいます。私が訪問したとき(6月初旬)にはまだ桔梗は咲いていませんでしたが、つゆの頃から9月位まで、可憐な花を咲かせるようです。

 因みに桔梗の花言葉は「誠実、変わらぬ愛」だそうです。

 桔梗の開花時限定ですが「ききょう守り」というのが売店に並ぶそうです。
 
■■ 泣不動縁起絵巻 織りつづれ絵馬


 本殿前広場中央南側には絵馬舎があります。そこに大きな西陣織の絵馬があります。

 清浄華院所蔵の「泣不動縁起絵巻」の中に、邪気を祓う晴明が織り込まれています。
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<晴明神社公式サイトより>
■ 千利休屋敷跡を記した石碑.

 数年前に、江戸時代の茶書から、当神社の境内に当たる「葭屋町通元誓願寺下ル町」に利休屋敷があったことが確認されたため、利休の遺徳をたたえ茶道

 武者小路千家家元が石碑を奉納されました。境内の「晴明井」の水は利休が使ったとされています。正面には、千宗守家元筆の「千利休居士聚楽屋敷趾」の文字が刻まれています。

  <晴明神社公式サイトより>

<晴明神社公式サイトより>
■ 日月柱.

 参道脇にに凛と立つ「日月柱(にちげつちゅう)」。この柱上にある日月石像は、篤志家によるご奉納で、南に「日」、北に「月」を配し、まさに陰陽を表しています。

 また、石柱は元々は、現在の四神門の門柱として使われていたものを移設し復活させたもので、「明治37年9月晴明公九百年祭紀念」と彫りこまれています。

  <晴明神社公式サイトより>
 
<晴明神社公式サイトより>
■ 四神門.

 当社の塀重門は、「四神門(しじんもん)」と称します。当時、朝廷の使いなどが晴明邸を訪れると、誰もいないのにこの門が開き、門からでるとそれがまた勝手に閉まったそうです。

 現在でもそれにちなんで電動で開閉する扉となっています。夜は6時頃に閉門します。ちなみに、石柱の上に四神(東の青竜・南の朱雀・西の白虎・北の玄武)が掲げられています。

  <晴明神社公式サイトより>
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 本殿前の広場に、なにやら意味ありげな文様を見つけました。  晴明神社を取り囲む塀に、神社縁起が干支共に掲げられていました。
 
   
 
 
 
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