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私のサイトへの訪問をありがとうございます。
へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。
他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。
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嵯峨野(さがの)は、京都府京都市右京区にあります。西を太秦、北を桂川、東を小倉山、南を愛宕山に囲まれています。嵐山から小倉山にかけて、社寺が点在していることから、京都を代表する観光地の一つとして、観光客から親しまれています。
嵯峨野の歴史 ←クリック
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ここでは、2013年12月に回った時の写真を中心に紹介します。
渡月橋 ――5分 天龍寺 ――7分 大河内山荘 ――5分 常寂光寺 ――15分野宮神社 ――15分法輪寺
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嵯峨野 常寂光寺への道 |
天竜寺から竹林の道、大河内山荘を経て
常寂光寺への道を辿りました。
軽い沢の雲ばの池を思わせる
池がありました。
モミジの紅葉
サザンカの白
竹や松の緑
そして背の高い柿の木には朱色の実 |
モミジのトンネル
通る観光客は皆さんが写真を撮っていました |
モミジのトンネルを振り返ってみると
陽光に一層紅葉が映えました |
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http://www.jojakko-ji.or.jp/ |
常寂光寺
慶長年間(1596?〜1614)に、
大本山本圀寺第16世であります
究竟院日ワ辮lにより開創されました。
本堂は慶長年間に小早川秀秋の助力を得て、
伏見桃山城客殿を移築、造営されました。
什物に高倉天皇より
小督局に下賜された車琴があります。
これは小早川秀秋より
当山に納付されたものです。(非公開)
(公式サイトを参照して作成)
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常寂光寺 山門 |
太い角材を格子に組んで造られた山門は、江戸後期に作り変えられたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には、袖に土塀をめぐらした薬医門が図示されています。
閉門しても墨色に塗られた角柱の格子の間から参道が見える開放的な山門です。 |
三門をくぐり、参道を仁王門に向かって進むと
左手に展示場があります。
展示場を背に仁王門方向を見る
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展示場前の庭 |
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常寂光寺 仁王門 |
仁王門
仁王門は、もともとは本圀寺客殿の南門として貞和年間(1345頃)に建立されました。それが、元和二年(1616)に移築されて、仁王門となりました。境内建築物の中で最も時代の古い建物です。
三門から入ると左手奥に受付が見えます。
その奥が仁王門です。
仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築されました。左右の仁王像は運慶作と伝えられています。
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茅葺の屋根がめずらしいし造りです。左右の仁王像は、運慶作と伝えられています。身の丈七尺あります。 |
仁王門像は目と足腰の病にご利益があるとされ、近在の檀信徒がわらじを奉納して祈願しています。
左手に展示場があります。 |
本堂前から見下ろしますと
珍しいといわれる茅葺の屋根が
よくわかります。
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常寂光寺 女坂を登る |
仁王門のすぐ前を右に折れると女坂になります。
女坂を登り切りますと庫裏に出ます。
そこから見下ろすと石灯籠があります。
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形のおもしろさが気に入りました。
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明かり取りの窓が気になり、覗いていました。 |
覗いた先の景色と石灯籠 |
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常寂光寺 庫裏・鐘楼・本堂 |
女坂を登り切りますと庫裏の正面に出ます。
庫裏の隣が本堂です。
本堂の前に鐘楼があります。
右が庫裏、左奥が本堂 |
本堂の前には苔むした頭を付けた石灯籠が
モミジの下に鎮座していました。
一週間も早ければ紅葉が素晴らしく、
良い写真スポットになると
思いながら、シャッターを切りました。
本堂は、建立は、慶長年間です。
第二世通明院日韶上人が
小早川秀秋の助力を得て、
桃山城客殿を移築して本堂としました。
もともと本堂の屋根は、
本瓦葺きの二層屋根でしたが
昭和7年の大修理の時に
平瓦葺きの屋根になりました。
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鐘楼
本堂の前には鐘楼があります。
ちょうど、男坂を登り切ったところに
建っています。
鐘楼は、寛永十八年 (1642)
第四世、光照院日選上人の時に
建立されました。
梵鐘は第二次世界大戦中徴資に遭い、
現在の梵鐘は、昭和四十八年に
青木一郎博士の音響設計により、
古律黄鐘調の新鐘として
鋳造されたものです。
毎日、正午と夕方五時に
所定の数が突かれます 。 |
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常寂光寺 妙見堂 |
妙見堂
船乗りが流れ着いたところ、
妙見菩薩のご神体を拾い上げたという
言い伝えをもとに、そのご神体を祀っています。
本堂と参拝路を挟んだ所にあります |
扁額が色あせて読みにくくなっています
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妙見堂の前から京都市内を臨む
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本堂から男坂の階段を下りきった
仁王門の手前を右に行くと
修験の瀧があります。
見落としがちです。 |
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常寂光寺 本堂裏 |
本堂の後ろ手に池があり
ちょっとした庭になっています。
本堂(右)の裏手に池があります。
本堂の外縁に腰掛けて
多宝塔の方を見るのも良いでしょう。
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本堂の外縁に腰をかけて
右手から水が流れてきます。
そこに石橋が架かり、
たもとに苔むした石灯籠があります。
奥に見えるのは、庫裏の裏手
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石灯籠全体が苔むしています
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本堂外縁に腰掛けて正面を見ると
多宝塔が覗いています。
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多宝塔に向かう途中振り向きますと
本堂(正面の建物)が見えます。
黄葉したかえでが、
たくさんの手を広げています。
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本堂裏の小山
この上に多宝塔が建っています。
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本堂から多宝塔に向かう左手に
三重の石塔があります
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常寂光寺 多宝塔 |
多宝塔
慶長から元和にかけての頃、
建てられたと推定されますが、
はっきりした時期はわかりません。
多宝塔を正面から見る
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正面からの多宝塔
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真裏から見た多宝塔
奥が京都市内方面
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見晴台から |
見晴台から京都市内を臨む |
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常寂光寺 開山堂 |
開山堂
開山は、究竟院日ワ辮l、字は尊覚と号します。
権大納言広橋国光の息男として
永禄四年 (1561) 京都に生まれました。
開山堂
京都の本山が二派に分裂したとき、
不受不施の宗制を守って、出仕に応ぜず、
常寂光寺を開創しました。
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開山堂
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歌仙詞
開山の究竟院日ワ辮lは、幼少にも関わりませず、
本山本圀寺第十五世日栖上人に師事ました。
宗学と歌道への造詣が深かったといわれています。
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京都 2013年12月 嵯峨野 |
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