HOME 仏教 仏像 名所旧跡 スナップ グロマコン 経営コンサルタント | |||||||||||||||||||||||||||||
私が訪れた名所旧跡です。 ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。 私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。 自分自身の作品を、自分のために整理したものです。 |
|||||||||||||||||||||||||||||
京都 北野天満宮 3 | |||||||||||||||||||||||||||||
■ 北野天満宮 北野天満宮は、菅原道真をご祭神として祀る、全国に御霊分けをした約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。 天神信仰の発祥の地であり、京都の人は、親しみをこめて「北野の天神さん」、「北野さん」と呼ばれています。 北野天満宮の創建は、平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、ここに神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされます。 その後、藤原氏により大規模な社殿の造営がありました。永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念され、「北野天満天神」の神号が認められました。 江戸時代には、「学問の神さま」、「芸能の神さま」として広く知られるようになりました。 |
|||||||||||||||||||||||||||||
北野天満宮 もみじ苑・史蹟御土居 | |||||||||||||||||||||||||||||
境内西側の紙屋川に沿って約350本のもみじが続く散策道が延びています。 もみじが色づくとライトアップも。豊臣秀吉公が築いた土塁「御土居」の一部が残り、史跡に指定されています。 私が訪れたときは、もみじ苑公開の期間が終わってしまっていたので、上から見るだけでした。 |
|||||||||||||||||||||||||||||
350本の紅葉が色づくもみじ苑 「このたびは幣(ぬき)もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」菅原道真公御歌 宇多上皇の巡幸にお供された菅原道真公が山々の紅葉の美しさに感銘を受け、手向山八幡宮に紅葉の枝を奉じて祈願された史実から、紅葉もまた道真公と深いご縁のある樹木といえます。 時は流れて桃山時代、豊臣秀吉公は洛中洛外の境界、水防のための土塁「御土居」を築きました。その一部が残る境内の西の一帯は長らく自然林で、自生のものと後に植林されたものを含め、現在、約350本の紅葉を有する名所「もみじ苑」となっています。紙屋川にかかる朱塗りの太鼓橋「鶯橋」や、茶室の梅交軒に設けた舞台からの眺めは絶景です。 (公式サイトより) もみじ苑公開 10月下旬~12月上旬(ライトアップは11月中旬~12月上旬) [入苑時間] 9時~16時、ライトアップは日没~20時 [入苑料] 大人800円・こども400円 茶菓子付き(利休居士が考案したと伝わる麩の焼を再現したお菓子) |
|||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||
↑ top | |||||||||||||||||||||||||||||
Copyright© N. Imai All rights reserved | |||||||||||||||||||||||||||||