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私が訪れた名所旧跡をご案内します。

ケイタイのカメラで撮影していますので画質があまりよくありません。私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。


このページは、北野神社サイトよりコピー・アンド・ペーストしたもので
今後作り直しの予定です。
2012年中に訪問予定でその時の自分用としての参考資料です。訪問し次第改定します。

〒602-8386 京都市上京区馬喰町
午前5時〜午後6時 http://kitanotenmangu.or.jp/

 北野天満宮は、菅原道真公(菅公)をおまつりした神社の宗祀(最も中心になるものとして尊びまつる)で、親しみを込めて「北野の天神さま」と呼ばれています。

 平安時代中頃の天暦元年(947)に、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、当所に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます。

 その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満宮天神」の神号が認められ、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。

 江戸時代には教育施設として各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室には必ず天神さまがおまつりされ、あるいは神影(菅公のお姿を描いたもの)が掲げられ、学業成就や武芸上達が祈られてきました。

 現在、全国各地には菅公をおまつりした神社が、およそ一万二千社とも言われ、その多くは当宮から御霊分けをした神社であります。

 菅公は世々に「文道の大祖・風月の本主」と仰ぎ慕われ、学問の神様としての信仰は昔も今も変わることなく人々の生活のなかで受け継がれています。

 
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■ 北門

 門前には西陣名技碑が建つ
  ■ 地主社

 北野の創建以前からの地主の神で、境内でもっとも古い社である。
  ■ 社殿(国宝)

 御祭神菅原道真公をお祀りする本殿。桃山建築の代表。 現在の社殿は、慶長12年に造営された。
  ■ 明月舎

 天正15年(1587)10月1日、豊臣秀吉公が当宮の松原で催した北野大茶場を記念して毎月1日と15日に献茶会が催される。
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  ■ 東門(重文)

 切妻造、銅葺の四脚門
■ 三光門

 後西天皇御宸筆『天満宮』の勅額を掲げてある。 豊富な彫刻の中に日月星があるから三光門の名がある。

*中門[重要文化財]
  ■ 神楽殿

 狂言や日本舞踊又毎月25日には神楽舞が奉納される。
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  ■ 宝物殿

 公家や武家さらに商人たちの信仰も厚かったことから当宮には数多くの宝物が奉納され伝えられています。
  ■ 桜門

 文道の大祖風月の本主の額が掲げてある。
  ■ 太閤井戸

 豊臣秀吉公が天正15年に催した『北野大茶会』ゆかりの井戸。
■ 陰向松

 初雪の日に御祭神がこの松に降りてこられ歌を詠まれるという言い伝えがある。
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