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■ 神護寺 (じんごじ)
真言宗の古刹で、もとは和気氏の氏寺でした。809年(大同4)から14年間空海(弘法大師)が住持、その後、荒廃してしまいました。平安末期、文覚上人が再興し、今日に至っています。
国宝の薬師如来像をはじめ平安、鎌倉時代の仏像、絵画、書跡などが多く残るお寺さんです。梵鐘(国宝)は日本三名鐘の一つと言われています。京都三尾のひとつで、紅葉の名所としてよく知られています。
和気清麻呂は、平安遷都の提唱者として知られています。天応元年(781)、国家安泰を祈願し、河内に神願寺を、またほぼ同じ時期に、山城に私寺として高雄山寺を建立しました。一切経を写し、仏像を作り、最勝王経を読誦して一伽藍を建て、万代安寧を祈願せよ」というお告げを受け、その心願を成就するためと伝えられ、寺名もそこに由来しています。 <公式サイトより>
【建立】 781(天応元)年(奈良時代)
【正式名称】 神護寺(じんごじ)
【住所】 右京区梅ヶ畑高雄町5
【電話番号】 075-861-1769 【FAX】075-862-0354
【拝観】 600円 9:00~16:00 年中無休
資料出典: 神護寺公式サイト
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神護寺 |
神護寺は、三尾のひとつで、高山寺や西明寺とともに、紅葉の名所として知られています。私が訪れたのは3月初旬という、観光シーズンとはかけ離れた季節でした。
朝、ホテルからJR二条駅にまで地下鉄東西線に乗り、そこからJR西日本の路線バスに乗って、約45分ほどで、高山寺のバス停に着きました。高山寺を参拝後、高山寺からはバス停で1つですので、徒歩で移動しても15~20分で西明寺、そこから神護寺までは30~40分で着くことができます。しかし、バス停からは谷底まで一旦下り、そこからまた登りますので、足に自信のない人にはお勧めできません。一方で、大変な道のりですが、それなりの価値のあるお寺さんといえます。
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アクセス
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↑ 神護寺周辺(拡大) |
↑ 神護寺境内(拡大) |
行動から谷底まで下ると紅い色をした高雄橋があります。
そこを渡りますといきなり昇りの参道にさしかかります。 |
多生足に自信はありましたが、
息を切らせて15分ほど急坂を登ることになりました。
ようやく神護寺の山門が見えてきたときにはホッとしました。 |
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神護寺 楼門から境内へ |
長い上り坂の終点が楼門です。
紅葉の季節に必ずと言って紹介されます。 |
楼門の吽形像 |
楼門の阿仰像 |
楼門の阿仰像 |
神護寺本坊・書院
楼門を入って直ぐ右手
三本の定規線が塀に見えることから
豊臣秀吉の影響があったと推測されます。 |
神護寺本坊・書院
左に白い宝蔵がみえます。 |
宝蔵前の門 |
和気公霊廟
楼門を入って右手に書院、宝蔵と並んで
朱色の目立つ建物 |
平安遷都の提唱者であり、
また新都市造営の推進者として知られる
和気清麻呂の霊廟 |
和気公霊廟 |
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神護寺 明王堂・鐘楼 |
和気公墓への入口
左手奥にある
階段奥は鐘楼 |
鐘楼
「銅鐘」と呼ばれ、国宝です。
貞観17年(875)に鋳造
橘広相(たちばなひろみ)の序詞を
菅原是善(これよし)の撰銘、
藤原敏行の書で、
「三絶の鐘」のひとつとして知られています。
<境内説明書きより> |
明王堂 ↑拡大 |
和気公霊廟の隣にある明王堂 |
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神護寺 金堂 |
金堂は、本堂に相当する建物で、ご本尊は、国宝「薬師如来立像」です。そのほか多くの重文が所蔵されています。 |
金堂
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入母屋造り本瓦葺
ご本尊は国宝薬師如来立像
左右に重文の日光・月光菩薩 |
金堂
入母屋造り本瓦葺
神護寺で最も大きな建物 |
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金堂の甍(いらか) |
金堂への階段 |
毘沙門堂裏から金堂を望む
右手は五大堂 |
今度浮気に立つ不動明王石仏 |
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神護寺 多宝塔 |
金堂の裏手にある多宝塔は、高野山の大塔と比べると見劣りがするものの、どっしりと、落ち着きがあります。
国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」や多くの重要文化財を所蔵しています。 |
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本堂越しに多宝塔を望む |
金堂から多宝塔を望む |
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神護寺 五大堂 |
五大堂といいますと松島を連想します。
神護寺の五大堂との関係はわかりません。 |
楼門から五大堂を臨む |
五大堂 |
右:五大堂 左:毘沙門堂 |
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神護寺 毘沙門堂 |
毘沙門堂は
五大堂の隣奥に並ぶ伽藍 |
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毘沙門堂 |
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毘沙門堂 |
右毘沙門堂の奥隣が五大堂
奥が金堂 |
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神護寺 大師堂 |
大師堂は重要文化財で、現在の建物は桃山時代に再建されたものです。
もとは空海の住房でした。 |
大師堂 |
大師堂 |
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神護寺 閼伽井・硯石 |
閼伽井(あかい)
閼伽(あか)というのは、仏様にお供えをする水のことで、
神護寺の閼伽井は、弘法大師が灌頂の浄水を汲んだという
井戸です。 |
閼伽井は、金堂横から多宝塔に向かう途中にあります。 |
閼伽井の前を通り、地蔵院への道沿い
地蔵院の先にはかわらけ投げの広場があります |
弘法大師空海が神護寺に在時するときに
勅額に「金剛定寺」という文字を依頼されました。
しかし、五月雨で橋がながされたために
対岸に行けませんでした。
目の前の石を硯として
筆を対岸の額に向けて投げると
見事に字を刻むことができたと伝承されています。 |
硯石全体
金剛定寺は現存していません。 |
寺内にある手水鉢 |
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神護寺 地蔵堂 |
神護寺の最も奥に地蔵院があります |
右の建物が地蔵院 |
地蔵院を正面から見る |
地蔵院前の可愛い仏像 |
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