|
私のサイトへの訪問をありがとうございます。
へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。
他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。
|
|
http://www.kannon.jp/ |
今熊野観音寺は、泉涌寺への道すがらにあります、真言宗泉涌寺派の塔頭です。四季折々に自然の美さと幽寂なる空間を持つお寺として知られています。「頭の観音さん」として広く人々の信仰をあつめ、熊野権現示現の伝説の聖地です。
東山三十六峰今熊野山のふところにいだかれて、後白河法皇より山号を賜り、「新那智山」といいます。
◆西国三十三ヶ所観音霊場の第十五番札所
◆ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場の第一番札所
◆京都七福神のえびす神奉祀
◆洛陽三十三所観音霊場の第十九番札所
◆神仏霊場会の122番(京都42番)霊場
|
御本尊 |
十一面観世音菩薩 (秘仏、弘法大師御作と伝えられる、身丈一尺八寸) |
御真言 |
「オンマカキャロニキャソワカ」 または「オンロケイジンバラキリク」 |
脇仏 |
不動明王(智証大師円珍作と伝えられる) 毘沙門天(運慶作と伝えられる) |
御詠歌 |
「昔より立つとも知らぬ今熊野 仏の誓いあらたなりけり」 (花山法皇の御作と伝えられている) 聞く |
紋章 |
「今熊野浪」 立浪の紋章の中に環が描かれている |
|
(以上 同寺Webサイトより作成) |
今熊野観音寺は、泉涌寺への道すがらにあります、真言宗泉涌寺派の塔頭です。 |
中古三十六歌仙の一人、「枕草子」の作者、清少納言の父であります清原元輔の邸宅が現在の観音寺境内地付近に有ったといわれています。 |
|
泉涌寺参道から左に折れますと、
観音寺に下ってゆきます。
下りきったところに、
赤い橋であります「鳥居橋」が
目に飛び込んできます。
下は、今熊野川で、
観音寺と泉涌寺の間の谷を流れています。
|
鳥居橋をわたって境内に入り、
一番最初に迎えて下さるのは
「子護弘法大師」で、
大切な子供達を護り育んで下さります。
弘法大師が観音寺を開創されました。
心身健康・学業成就・諸芸上達・交通安全などを
祈願できます。
|
大師堂
当山を開創したのが弘法大師です。大師をお祀りしているお堂です。不動明王、愛染明王も祀られています。また当山の伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像も安置されています。普段、ここでは護摩の修法が行われ、また修行僧の修行道場としても使用されます。
|
鐘楼
梵鐘の鋳造は古かったのですが、太平洋戦争のときに供出されました。しかしそれが修理された日付が加えられて戦後戻って来ました。観音様のご加護をいわれています。毎年大晦日には、百八の除夜の鐘が突かれます。
|
本堂
弘法大師が熊野権現とお出会いになられた、最も神聖なる場所といわれ、正徳2年(1712)に、宗恕祖元律師によって建立されました。
本尊は、弘法大師御作と伝えられる十一面観世音菩薩(身丈・一尺八寸)です。本尊は秘仏で、御前立さまを拝観できます。脇仏は、智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天です。
|
五智の井
弘法大師が開山されたときに、錫杖をもって岩根を打つと水が湧き出たといいます五智水です。井戸水として湧き出しているのが、「五智の井」です。
|
|
|
|
|
|
↑top |
京都 2013年10月 スナップ |
|
↑top |
永観堂2 永観堂3 ←クリック |