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私が訪れた名所旧跡をご案内します。
ケイタイのカメラで撮影していますので画質があまりよくありません。私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
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〒520-0116 滋賀県大津市坂本本町4220
http://hieizan.or.jp/ |
比叡山というと、「最澄」「延暦寺」「根本中堂」というありきたりの言葉を思い浮かべます。
百人一首で有名な慈円は、「世の中に山てふ山は多かれど、山とは比叡の御山(みやま)をぞいふ」と比叡山を詠んでいます。
比叡山延暦寺は、「世界の平和や平安を祈る寺院」として、遍く知られています。昔から、仏僧を目指す人が一度は修行に訪れる地でもあります。「国宝的人材育成の学問と修行の道場」とも呼ばれ、日本仏教各宗各派の祖師高僧を輩出して来ています。
私どもが観光として訪れる比叡山は、大きく3箇所に分かれています。比叡山観光の中心は、根本中堂のある「東堂(とうどう)」エリア、西塔エリア、横川エリアとがあります。 パンフレット(PDF 2.3MB)
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京阪電車サイトより
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東堂エリア |
西塔エリア |
横川エリア |
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■■ アクセスと移動
車で移動する場合には、それぞれのエリアにある駐車場に止めれば良いのですが、エリア内のシャトルバスで移動する場合には、本数が少ないので注意が必要です。
私は、東堂を先に廻ったために西塔や横川エリアに行くためのバスのタイミングに合わず、時間のロスから結果的には横川エリアには廻りきれませんでした。
ロープウェイでシャトルバスを利用する場合には、ロープウェイをおりたら横川エリアまで一気に行ってしまい、バスの本数の多い午前中に西塔エリアに入り、東堂エリアへは時間的な余裕をたっぷり残して最後に廻るようにすると良いでしょう。なぜなら東堂とロープウェイの山頂駅との間は比較的本数が多いからです。ただし、最終バスに乗り遅れないように時間を確認してから東堂ないを廻るようお勧めします。 |
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京都府  |
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■■ 西塔(さいとう)エリア
東堂の西側にある西塔エリアは、東堂に比べて極端に人の数が少なくなります。東塔からバスで10分ほどのところにあります。徒歩では少々きついかもしれませんが、1時間ほどあれば、車の通る道ですがハイキング気分で歩けそうです。
美しい杉木立の間から小鳥がさえずり、その静寂さを際立たせています。
西塔エリアの中心は釈迦堂ですが、にない堂と呼ばれる常行堂と法華堂や椿堂などの見どころがあります。
修行体験ができる居士林研修道場(非公開)もあります。
【注意点】
西塔エリア全体をゆっくりまわると120分は必要となりますので、見学場所の多い東堂との時間配分には十分注意が必要です。
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京都 比叡山 西塔 にない堂 |
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■■ にない堂
バス停をおりて、拝観件を見せると視線をやや上げた位置ににない堂があります。
左が常行堂で右が法華堂ですが同じ形をした建物です。その間が渡り廊下でつなげられています。
弁慶がこの渡り廊下をてんびん棒のようにして、この2つ並んだお堂をかついだことから「弁慶のにない堂」と呼ばれています。
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右が法華堂、左が常行堂
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↑ 拡大
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法華堂と常行堂を結ぶ渡り廊下
弁慶がこの渡り廊下を担いで(になって)
法華堂と常行堂を担ぎ上げたことから
この3つの建物を合わせて「にない堂」と言うようになりました。
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常行堂
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にない堂の渡り廊下を釈迦堂側から望む
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京都 比叡山 西塔 恵亮堂 |
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■■ 恵亮堂
恵亮堂は、大楽大師と称される恵亮を本尊として祀っています。修力霊験に優れた人であったと記されています。
【朝日日本歴史人物事典】 恵亮
生年: 弘仁3 (812)(説明板では800年)
没年: 貞観2.5.6 (860.5.29)(説明板では859年)
平安前期の天台宗僧。生年は一説に延暦21(802)年。信濃国(長野県)水内郡の人。比叡山に入り義真から戒を受け,円澄に従う。定心院十禅師,惣持院十四僧の役を勤め,円仁から三部大法の灌頂を受けた。
内供奉十禅師として清和天皇を護持したことで知られ,同天皇(惟仁親王)が惟喬親王と立太子を争った際に,大威徳法を修したという。
貞観1(859)年に賀茂神,春日神のために延暦寺の年分度者(毎年1月得度にあずかる一定数の者)の2名増を申請して許され,西塔宝幢院の検校となった。翌年に洛東の妙法院で遷化。大楽大師と称される。
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恵亮堂
西塔の中心的な建物は釈迦堂です。
通常、中心的な建物は階段を登りますが
釈迦堂は三門方向から下って行きます。
その階段の途中左手にあります。
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↑ 拡大 |
円戒国師寿塔
この塔は、恵亮堂敷地内にあります。
寿塔とは、生前に作られたお墓のことを言います。 |
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円戒国師寿塔
恵亮堂を正面に見て左手にあります。
西塔で20年間修学しました。
応仁の乱の惨状を見るに忍ばず、社会浄化に身を挺しました。
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↑ 拡大
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中西悟堂の歌碑
恵亮堂敷地の一角にあります
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京都 比叡山 西塔 釈迦堂周辺 |
比叡山西塔の中心的な建物であります「釈迦堂」に付帯する鐘楼などの建物や仏足石などの建造物があります。
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■■ 仏足石
仏足石というのは、釈迦入滅時に残された足形を石に刻んだ物で、世界各地にあります。
釈迦堂に向かって右手に、釈迦牟尼佛とならんで建てられています。
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仏足石
お釈迦様が入滅するときに残した足形を
石に刻んだ物です。
足裏の車輪の形をした千輻輪相があり
歩く度にそれが印として残されたと言います。
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釈迦牟尼佛
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天台青少年比叡山の集いの一環で
平和地蔵菩薩が奉納されました。
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右手三本指を立てています。
研修生達の3つの誓いを表します。
左手には数珠を持っています。
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鐘楼
釈迦堂を正面に見て左手高台にあります
最初に来たときにはこれを見落としました。
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ちょっと小さめの鐘ですが「平和の鐘」とも言われています。
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京都 比叡山 西塔 釈迦堂 |
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■■ 釈迦堂
ご本尊は伝教大師の自作といわれる釈迦如来で、釈迦堂の名の由来でもあり、西塔の中心をなすお堂です。
信長による比叡山焼討は有名ですが、この釈迦堂は、その後、豊臣秀吉が大津の三井寺から移築しました。天台建築様式の代表で、比叡山内にあるお堂の中でも最も古い建物です。
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延暦寺の釈迦堂は、ご本尊釈迦如来であることから釈迦堂と呼ばれますが、正式には「転法輪堂」という国の重要文化財です。
桁行(けたゆき)七間、の入母屋造です。屋根は一重で、栩葺(とちぶき)形銅板葺となっていて、緑がかった趣のある屋根です。曲線美を持った形は、参拝された人が感嘆するほどです。
一般的に、寺院の最も重要な建物というのは、階段を上り詰めたところにあります。ところが、西塔の中心的な建物であります釈迦堂への、にない堂から階段を降りきったところにあります。
織田信長の焼き討ちの対象となり炎上しましたが豊臣秀吉の命により、13147(貞和三)に園城寺弥勒堂がこの地に移築されました比叡山では最古の建築です。
根本中堂と同様に、天台宗の仏堂の特色といえます外陣(げじん)が床張りです。内陣は一段低い土間となり、中央に本尊を安置する宮殿を壇の上に設けています。しかし、土間は根本中堂ほど掘り下げられていません。
正面から見たときに柱間がすべて戸口として開放されています。お詣りしたあと、靴を探すときに別の戸口に出たため、また堂内に戻ってから自分の靴を履きました。
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写真左手に仏足石が、またその後方に当たる左手上方に鐘楼がある。 |
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東塔エリア2 4 横川エリア |
追補 |
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