HOME  仏教  仏像  名所旧跡  スナップ
HOME
仏   教
仏   像
名所旧跡
スナップ

私のサイトへの訪問をありがとうございます。

へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

http://www.eikando.or.jp/

 見返り阿弥陀像で知られます永観堂は、正式には

     聖衆来迎山  無量寿院  禅林寺

です。

 平安時代初期仁寿三年(853)に、永観堂(禅林寺)を創建された弘法大師の弟子真紹僧都(しんじょう 797−873)が草創しました。“モミジの永観堂”として文化人達を始め多数の方に愛され千百有余年、京都を代表する古刹の一つです。

出典: 永観堂公式サイトと【Wikipedia】を参考に作成


永観堂 釈迦堂

 釈迦堂は、正式には、方丈です。

 室町時代に建立された本格的な書院造りです。6つの仏間からなり、松鳥図や郡仙図などの華やかな襖絵で飾られています。撮影は禁止されていますので、掲載できませんが、同寺のパンフレットに一部が紹介されています。

 同寺のWebサイトでもご覧いただけます。 寺宝一覧



↑ 拡大:釈迦堂説明


↑ 拡大:釈迦堂



釈迦堂


釈迦堂

釈迦堂 小庭園側


釈迦堂 阿弥陀堂から望む
 
永観堂 釈迦堂関連



板木

寺院で用いる鳴物の一種で、版木とも呼ばれる。T寺形の木槌で打って、僧侶に日常的な沙作法の自国を知らせる合図として用いられる。

厚く堅い材質の木製の板の上辺を隅切りした長方形のものが一般的であるが、永観堂では、写真のように円形をしていて、下部の円形部分をたたく。

上辺2ヵ所にひもをとおして寺院の柱などに吊りさげてあり、吊られる場所や目的によって、同じ寺院内でも名称が異なる。(kotobank参照)


ご本尊

ご本尊は公開していませんし、撮影もできません。
紹介図より撮影

 
永観堂 勅使門と盛り砂

 勅使門は、「唐門」とも呼ばれています。天皇の使い(勅使)が出入りするときに用いられることから勅使門と呼ばれています。

 勅使門と釈迦堂との間に盛り砂が作られています。勅使は、門を入るとこの盛り砂を踏んで身を清めてから中に進んでゆきます。
 
 
永観堂 庭園

 釈迦堂を左に廻りますと、庭園があり、そこには悲田梅があります。

 永観律師は、掲題の梅の木に実がなるのを待って、貧しい病人に施したと伝えられています。その梅の木が、いつしか「悲田梅」と呼ばれるようになりました。
 
 
永観堂 臥龍廊と三鈷の松

 釈迦堂の裏手に臥龍廊があります。

 臥龍廊は、山の斜面に合わせて、巧みに木を組み合わせて作った廊下です。曲がっているところから、龍が寝そべっている(臥している)ように見えることから「臥龍廊」の名が付けられました。

 廊下を通る人は、龍の体内を歩くような錯覚に陥ると言われています。

 三鈷の松は、臥龍廊に登る右手にあります。葉先が三本に分かれている珍しい松の古木です。葉の長さも長いのが特徴です。

 三鈷とは、「智慧」「慈悲」「まごころ」を表します。この松の葉を持っていると、三つの福が授かると言われています。ただし、ここから松葉を持ち出すことはできません。

 水琴窟が、三鈷の松の左手にあります。
 


曲がりくねっているので、龍に例えられています。


上から見た方が、曲がりくねった感じが良く掴めます。


山の斜面に曲線を描いて、貼り付くように作られているので、臥龍(臥す龍)と呼ばれるようになりました。


古木ですが、豊に葉を付けています。


よく見ますと、三本に葉が分かれているのがわかります。


ひしゃくで水を石の上に掛けますと、綺麗な音色が始まります。それほど古いものではなさそうです。
 
 
 
 
 
↑top 
永観堂 スナップ
 永観堂1 総門 大玄関 
 永観堂2 釈迦堂 勅使門と盛り砂 庭園  臥龍廊
 永観堂3 阿弥陀堂 多宝塔 画仙堂 放生池
↑top 
永観堂1 永観堂3   ←クリック
経営コンサルタント・グロマコン 
 日本コンサルタントアカデミー
 (特)日本経営士協会

HOME 仏教 仏像 名所旧跡 スナップ ↑top
 
Copyright© N. Imai All rights reserved