HOME  仏教  仏像  名所旧跡  スナップ  グロマコン  経営コンサルタント

私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
京都  大徳寺 黄梅院
 関連記事 
 公式サイト パンフレット 
 〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町73-1
 http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/

 大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山で龍寶山と号します。高桐院は、大徳寺の塔頭の一つです。今宮参道近くにある、竹藪に囲まれた落ち着いた塔頭です。

 細川幽斎の長子である三斎(忠興)によって慶長六年(1601)に建立され、幽斎の弟である玉甫紹踪(ぎょくほじょうそう)和尚が開祖です。

 幽斎は八十三才の長命で、遺言により、ここに埋葬されました。法名は「松向寺殿三斎宗立」から茶席「松向軒」が名付けられました。

 三斎(忠興)は織田・豊臣・徳川の三時代に渡って仕え、戦国時代を代表する智将でした。それよりも利休七哲の一人としてご存知の方も多いのではないでしょうか。茶道の奥義を究めた上に、歌道にも通じる、文武両道に秀でていた人です。

 三斎(忠興)の正室である細川ガラシャ夫人が明智光秀の息女で、夫人の墓もここにあります。
 
【アクセス】 京都市バス 1、204、205、206「大徳寺前」下車徒歩5分

【山内地図】 山内地図(PDFファイル)

【注意点】
 大徳寺境内へは無料で入れます。
 山内の各塔頭は、特別拝観時以外は拝観できるところが限られています。また、拝観料は、各処で支払います。
大徳寺  黄梅院

 黄梅院(おうばいいん)は、大徳寺の塔頭の一つです。庵名は、弘忍大満ゆかりの中国黄梅県破頭山東禅寺に由来します。

 永禄5年(1562年)に織田信長の父・信秀の追善供養のため春林宗俶(大徳寺98世)を迎えて創建された小庵から始まりました。本堂や唐門が残り、日本の禅宗寺院において現存最古という庫裡は重要文化財に指定されています。

 平素は、公開されていませんが、特別公開の期間には、豊臣秀吉の軍旗瓢箪をかたどったといわれる池がある、千利休作庭の「直中庭(じきちゅうてい)」、利休の「茶の湯」の師である武野紹鷗(じょうおう)好みの茶室「昨夢軒」が公開されていました。

 小早川隆景の帰依を受け、整備し、弘忍大満ゆかりの中国黄梅県破頭山東禅寺に由来して黄梅院と改められました。黄梅院は近世を通じて小早川氏の宗家の毛利氏の保護下にありました。院内には毛利家、織田家の墓所のほか、小早川隆景、蒲生氏郷などの墓塔があります。

 貴重な文化財も数多く所蔵されていて、本堂中に雲谷派の祖・雲谷等顔(1547-1618)の水墨壁画、室中に「竹林七賢図」十六面(重要文化財)があります。そのほか「西湖図」、「芦雁図」や、雪舟4代・雲谷派の雲谷等益(1591-1644)襖絵も有名です。




↑ 拡大



黄梅院の山門は、
大徳寺南門から入ると数分のところ左側にあります



正面に本堂が見えます



門を入って直ぐ
本堂横



黄梅院は近世を通じて
小早川氏の宗家の毛利氏の保護下にありました。
院内には毛利家、織田家の墓所のほか、
小早川隆景、蒲生氏郷などの墓塔があります。



内部に入ると室内だけではなく庭園も含めて撮影できません



ポスターの写真



通常は拝観できませんが
長と特別拝観のタイミングで幸運でした


 p 
  ↑ top 

 天竜寺1   天竜寺全般 
 天竜寺11   天竜寺庭園 
 天竜寺12   天竜寺本堂・曹源池 
 宝厳院1   昼間の宝厳院(特別拝観) 
 宝厳院2   ライトアップ 
 弘厳寺   特別拝観
   名所メニュー   

 
Copyright© N. Imai All rights reserved