高山彦九郎像 |
↑ 拡大
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将軍塚青龍殿へ行くには、車かタクシーでないと不便です。
公共機関を利用するには、京阪三条バスターミナルからバスで行くことができます。本数が少ないのと、夕方の早い時間にサービスがなくなりますので注意が必要です。
そのバスターミナルに高山彦九郎の像があります。
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高山彦九郎皇居望拝之像
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高山彦九郎(たかやま ひこくろう)は、延享4年5月8日(1747年6月15日)生まれ、寛政5年6月28日(1793年8月4日)没の、江戸時代後期の尊皇思想家です。
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群馬から上洛した折には、この銅像のように
京都御所に向かって拝礼したと言われています。
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青龍殿へ |
青龍殿山門
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青龍殿前の建物
ここで青龍殿への参拝料を納めます
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建物の奥に青龍殿や大舞台があります
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青龍殿が見えてきました
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青龍殿の前まで行くと、その大きさに圧倒されます。
奈良大仏殿のおよそ横幅半分の木造大建築物といわれれば納得できます。
国宝青不動が祀られています。
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青龍殿扁額
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青龍殿正面の石灯籠
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青龍殿内部 |
玄関を入ると左手に金屏風があります
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光明遍照 こうみょうへんじょう
阿弥陀仏の救いの光があまねく全世界に及んでいるということ(kotobank)
十方世界 じっぽうせかい
十方はすべての方向を指します。十方世界は、「全ての世界」という意味です。
念仏衆生 ねんぶつしゅじょう
念仏を唱える、それにより救われる
摂取不捨 せっしゅふしゃ
阿弥陀仏が、念仏の行者を光明(こうみょう)のなかにおさめ救いとって決して捨てないこと(Wiki-Arc)
このことから「阿弥陀仏の光が広く世の中を照らし、念仏を唱える人々を救ってくれ、けっして見捨てることはない」という意味になると考えます。
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奈良東大寺大仏殿の半分の大きさといいますが、
中に何も置かれていないので広く感じます。
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天井までも高く、その大きさは
建物の中に入ってさらに実感します。
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青龍殿内陣
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青龍殿大舞台 |
大舞台から見た青龍殿裏
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青龍殿裏には、清水寺の舞台の4.6倍の広さ(延面積:1046㎡)の木造大舞台があります。
眼下に京都市内が一望でき、西展望台からは京都市内のみならず、大阪のビルまで遠望できます。
大舞台
http://www.shogunzuka.com/obutai.html
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大舞台の建物
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清水寺の舞台の4.6倍の広さ(延面積:1046㎡)の木造大舞台
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大舞台から北の方角を見る
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大舞台から北西方向を見る
街中に緑の多いところは黒谷付近
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大舞台にし、御所方向を見る
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大舞台南西 京都中心街
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青龍殿大舞台から見る寺 |
哲学の道方向を見ると南禅寺山門が見えます
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南禅寺山門
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南禅寺山門を上から見ることは
ここを除くとなかなかできません
高価なカメラではないのですが、
ズームアップするとこんなに大きく見えるのですね。
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比叡山
ズームアップすると比叡山もクッキリ
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金戒光明寺
黒谷もこんなに近くに見えます
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黒谷の真正極楽寺(真如堂)の三重塔
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京都御所
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青龍殿 庭園・展望台 |
大舞台から庭園への入口
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青龍殿庭園
将軍塚横の庭園には、紅葉、桜など美しい樹木をはじめ、枯山水庭園、大隈重信、東郷元帥、黒木大将らのお手植え松と顕彰碑など、歴史を偲ぶに相応しい場所ともなっております。
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大舞台より一段低いところに庭園があります。
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紅葉がまだ残っていました
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自然が作るグラデーション
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庭園からみる青龍殿と将軍塚 |
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将軍塚台座
平安遷都の折、桓武天皇が築かせた由緒ある将軍塚
高さ2.5mの将軍の像を土で作り
甲冑を着けて埋められています。
国家に大事があると、この塚が鳴動すると
源平盛衰記や太平記に記述されています。
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将軍塚越しに見る青龍殿
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紅葉に包まれる青龍殿
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西展望台階段途中から見る青龍殿
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西展望台から見る左下の将軍塚と中央青龍殿が西日に染まる
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西展望台から見る京都中心街
条件が良いと大阪の法まで見えるそうです
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手間の竹林がすばらしい
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