聖護院 アプローチ |
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平安時代1090年に
白河上皇の時代に授けられた寺
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聖護院門跡の山門
延宝3年(1675)の大火で全焼した聖護院は
他所を点々とし、創建当初の旧地に戻って伽藍を再建。
山門はこの時の建築で、300年以上を経て平成12年に修理されました。
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門跡ですので、菊の御紋を使うことができます。
「門跡」とは
皇子・皇族や、貴族の子弟が、その法統を伝えている寺院のことです
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総門を入るとこんもりとした松が目に入ります
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大玄関
山門正面にあり宸殿への入口が大玄関です。
内部には桃山障壁画の遺風を残す堂々とした老松が
狩野永納、益信の筆によって描かれました、
その構図は素晴らしいのですが、中の一面に筆による落書きがあります。
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大玄関脇
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聖護院 宸殿と狩野派の障壁画 |
宸殿(左)と書院
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宸殿(しんでん)
内部には、大玄関、孔雀、太公望、波の間等内部の部屋は15を超え、狩野永納、益信筆による障壁画が130面にも及びます。
宸殿とは、法親王が居住する門跡寺院の正殿のことです。書院作りの影響を強く受けていますが、寝殿造りの形式も残され、宮殿風に造られているのが特徴です。(公式サイトを基に作成)
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震殿内部
100面を超える狩野派の障壁画で知られる寺だけに
どこを見ても素晴らしい
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狩野派の障壁画
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金箔をベースにした重厚感
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床の間
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本堂横の庭が、宸殿から見えます
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本堂前から見た宸殿
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聖護院 書院と庭園 |
書院
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延宝4年に聖護院が現在地へ移転したとき、御所の建物が移築されたと伝えられています。二之間に大床があるのは、門跡寺院に多く、御所には稀といいます。(公式サイトより)
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書院中庭
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青銅の牛がユーモラスに見えました
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書院の手水鉢
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坪庭と手水鉢
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手水鉢に青空が映っています
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四角い手水鉢が珍しい
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細かいところにも心配り
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聖護院 本堂と前庭 |
左宸殿、正面は本堂
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本堂
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本堂前から見た宸殿
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市松文様が素晴らしい
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角度を変えると違って見えます
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年二回(2月3日、6月7日)
採燈大護摩供が行われ
採燈師(門主)がこの石に座るイスです。
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庭の手入れ
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手入れされた庭石と庭
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本堂
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聖護院 宸殿と前庭 |
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本堂前から見た宸殿
本殿と直角な方向を向いているので、前庭は共通
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正面から見た宸殿
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本殿前から宸殿を望む
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日吉桜
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日吉桜は、八重の山桜で、昭和12年に、日吉大社境内にあった原木を佐野藤右衛門氏が命名しました。しかし同大社では、最後の1本とされた木が約20年前に立ち枯れて以降、見られなくなっていました。
日吉桜の会が、日本さくらの会を通じて入手し平成26年に里帰りが叶いました。それをもとに、平成28年2月に、当寺に日吉大社の固有種「日吉桜」が送られました。。
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八ツ橋の聖護院本店
この近辺は、八ツ橋の誕生の地といわれています。
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