嵯峨野 祇王寺へのアクセス |
嵯峨野の二尊院の北、メイン通りから、ちょっと入ったところに、
壇林寺や奥の滝口寺と並んだところにあります。
奥まったところに入る小道には
「祇王寺」というしゃれた看板が立っています。
|
祇王寺の看板の反対側には祇王寺と壇林寺を示す
石柱があります。
|
嵯峨野 壇林寺 |
↑ 拡大
|
↑ 拡大
|
壇林寺 (だんりんじ)
祇王寺の手前に隣接しています。
壇林寺は、平安時代の初め、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(786~850)が創建した寺院です。皇后は、容姿端麗にして婦徳に秀で、学芸を愛し、橘氏の学校として学館院を設けたといわれています。
また、皇后は、深く仏教を信仰し、檀林寺に壮大な寺院を営み、盛時には、十二坊を持っていました。
さらに、皇后は、当時、来朝した中国の僧、義空を師として、この寺で禅書を学び、これが、我が国で禅が唱えられた始めといわれています。
当寺は、この由緒によって、昭和三十九年から再建された寺院ですが、霊宝館には、皇后ゆかりの品をはじめ、日本、中国の仏教美術の数々が納められています。
|
今回は、参詣しませんでした。
|
由緒ある門跡ですので、立派な意思の銘がありました
|
|
門跡寺院を示す五本の定規線の土壁
|
土壁の途中に山門があります。
突き当たりが祇王寺です。
|
嵯峨野 祇王寺 |
祇王寺(ぎおうじ)は、真言宗大覚寺派の寺院で、
旧嵯峨御所大覚寺の塔頭寺院です。
壇林寺前の参道の突き当たりが祇王寺です。
|
入口横から祇王寺の竹林が見えました
|
緩い階段が、入口に続いています
|
正門の横に、参拝者の門があります
|
嵯峨野 祇王寺 苔むす庭園 |
門を入ると、以前に来たときの思い出がフラッシュしてきました。
|
それほど広くない庭ですが、中央にせせらぎの流れ道が
苔庭にアクセントを付けています。
|
12月の初めですので、今年はもみじの絨毯ではなく、
苔の緑が目立ちました。
|
苔庭を飾る石灯籠
奥は、祇王寺の庵です
|
|
木立の奥に見える祇王寺の庵
|
嵯峨野 祇王寺の苔 |
苔の絨毯に、竹林と楓に囲まれ、「平家物語」にも登場します。
数種の苔が密集して全体を統一的に見せています
|
近年、苔好きの女性を中心とした人が増えているそうです。
スマホのマクロ撮影用のアダプターを付けると
簡単にマクロ撮影ができます。
|
あまり広くない庭園も、苔の緑がまばゆいほどです
|
|
|
|
|
嵯峨野 祇王寺 苔・竹・紅葉 |
庭の一番奥だけ、紅葉の絨毯が残されていました
|
紅葉と緑の絨毯
|
祇王寺らしい苔と紅葉
|
|
まだまだ紅葉も負けていないと自己主張していました
|
|
嵯峨野 祇王寺 紅葉と竹 |
竹は地下茎を通じて広がる強い植物です。
強すぎると嫌われる面もありますが
まっすぐに通る繊維と、高くまっすぐ伸びることから
その成長性やまっすぐな性格になぞらえます
|
竹林に紅葉
|
緑の竹を背景にした
オレンジから黄色のグラデーションは
一服の写真となります
|
ややあせてきたもみじも
竹と美しさを競っていました
|
嵯峨野 祇王寺 庵横の掛樋 |
庵横の掛樋と石灯籠
静寂の中に、せせらぎの音
|
水の音は心を和ませてくれます
|
石灯籠に掛樋
和の美しさを醸し出してくれています
|
心安らぐ水の音
|
掛樋からの流れをガードする丸木も
無粋さを隠して自分の役割を無言で果たす
|
掛樋からの流れは、苔庭に続きます
|
掛樋の周辺
|
嵯峨野 祇王寺のもう一つの主役 庵 |
祇王”寺”といえども
お寺にしては、今は小さな庵があるだけです
|
庵の仏間が参拝者を迎えてくれます
|
仏間の縁側の左手
|
庵の竹林側
南天の奥は控えの間にある吉野窓
影が虹の色に見えることから
「虹の窓」ともいわれます
|
内側から見た吉野窓
外からは円窓だとわかりますが、
内側からですと異なった形に見えるのが不思議
|
平清盛の寵愛を受けた白拍子である「祇王(ぎおう)」が、
若い仏御前の出現による清盛の心変わりから、
都を追われるように去りました。
母と妹とともに出家し、
入寺した悲恋の尼寺として知られています。
|
仏壇には、ご本尊の大日如来、祇王、清盛、
祇女、母刀自、仏御前の木造が安置されています。
祇王と祇女の目は玉眼(水晶)で、鎌倉末期の作(作者不明)
清盛像は、柱の影で見えにくいところに置かれています。
祇王を裏切ったことへの仕返しでしょうか。
|
嵯峨野 祇王寺 墓地 |
祇王寺墓地の入口にある碑
「妓王妓女佛刀自の旧跡 明和八年辛卯正当六百年忌
往生院現住尼 法専建之」とあって、
この碑の右側に
「性如禅尼承安二(1172)年壬辰八月十五日寂」と
刻まれているのは祇王のことと思われます。
|
祇王寺墓地
墓地といっても、数基があるだけです
祗王寺は明治初年に廃寺となりましたが、
残された墓と仏像は旧地頭の大覚寺によって保管されました。
|
↑ 拡大
左の宝筐印塔は祇王、祇女、母刀自の墓
右側は清盛供養塔と比丘尼智照の墓
|
|
嵯峨野 祇王寺 センリョウ・マンリョウと帰路 |
帰路の塀にかけられたセンリョウ
|
センリョウ・マンリョウの仲間が並べられています
|
これほどいろいろな種類があるとは
知りませんでした。
|
|
|
帰路の塀
|
芸術家も思わせる帰路の壁
|
紅葉が残る帰り道
|
帰り道の左手に残るもみじの絨毯
|