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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
京都  嵯峨野 大覚寺
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 平安時代初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の折の離宮として建立され、“華と心経の寺”として親しまれています。

 弘法大師空海を宗祖とする真言宗大覚寺派の本山で、正式には、「旧嵯峨御所大覚寺門跡」という、由緒ある門跡寺院です。これが大覚寺の前身「離宮嵯峨院」で、「嵯峨御所」とも呼ばれています。

 嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)のことです。弘法大師空海のすすめにより、嵯峨天皇が浄書した般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場としても知られています。

 大覚寺行バス28番で、終点まで45分程のところにあります。建物内は、写真撮影もでき、朝一番にホテルを出ましたが、参拝に昼過ぎまでかかりました。久しぶりに境内にも鳴っている大沢池にも行ってみました。

 紅葉にはやや遅いタイミングでした。祇王寺とセットになった参拝券が発行され、100円の割引を得られました。祇王寺は、徒歩で行くかタクシーに乗るかざるを得ません。徒歩ですと、30分程を見なければなりませんので、脚に自信のない人はタクシーを利用することをお勧めします。途中で、タクシーを拾うことは絶望的ですので、大覚寺門前のタクシー乗り場を利用します。

【拝観時間】 午前9時〜午後5時 無休 大 人:500円 大沢池:200円

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駐車場から歩き始めると
直ぐに大きな石柱が目に留まります


大覚寺 堂めぐり 1
 
大覚寺 宸 殿


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 江戸時代に、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの重要文化財。

 天皇に入内した徳川二代将軍秀忠の娘、東福門院和子が、女御御殿の宸殿として使用していたものです。

 妻飾り、破風板、天井などに装飾がこらされ、廊下や広禄はすべてうぐいす張りです。



宸殿前の庭



宸殿横で彩りを添える南天
苔の緑のグラデーションが素晴らしい



宸殿の端正な壁



宸殿前の左近の
奥の門は勅使門



宸殿前の右近の桜ではなく



妻飾り、破風板、天井などに装飾がこらされ、
廊下や広禄はすべてうぐいす張りです。



漆と金鍍金がふんだんに使われています。



宸殿の蔀戸の留め金具



宸殿前から見た勅使門(ちょくしもん)

晨永年聞{1848~54}に再建されました。
門は四脚門とし、屋根は切妻造り、
正面および背面に軒唐破風を付け、
全体は素木創りですが
唐破風の部分のみですが漆塗りとなっていて、
金鍍金の飾り装飾が施されています。



正面から見た勅使門

皇族などの専用門



勅使門

門の前の紅葉が寂しそうに立っていました

大覚寺 宸殿内部


狩野派の絵師による襖絵



欄間が細かい格子ででき
天井も繰り上げ格子天井となっていて
格の高さを示しています



宸殿の裏側の部屋にある襖絵



宸殿の裏側の部屋



宸殿の裏側の部屋



宸殿裏側の部屋

大覚寺 宸殿からの眺め


宸殿から五大堂(本堂)の望む



かつては五大堂(本堂)と神殿の間に塔か何かがあったのでしょうか。
その礎石台のみが残っています



村雨の廊下

宸殿から御影堂への渡り廊下



宸殿から御影堂を見る



宸殿から御影堂を見る



村雨の廊下
奥は御影堂

 諸堂を結ぶ回廊を「村雨の廊下」と呼んでいます。

 縦の柱を雨と見立て、直角に折れ曲がっている回廊を稲光にたとえています。天井は、刀や槍を振り上げられないように低く造られ、床は鶯張りになっています。



御影堂横の松を宸殿側から見る
建物は御影堂

大覚寺 御影堂

 大正14年、大正天皇即位に際し建てられた饗宴殿を、式後に移築した建物です。

 心経殿の前に位置することから「心経前殿(しんきょうぜんでん)」とも呼ばれています。

 内陣正面は、心経殿を拝するため開けてあります。



宸殿側からみる
左が御影堂、右が安井堂



御影堂内陣

参拝者のために開放されています



内陣左右に嵯峨天皇と秘鍵大師(弘法大師)、
後字多法皇、恒寂入道親王など、
大覚寺の歴史に大きな関わり合いを持った人の
尊像が安置されています。




御影堂内陣 雲照律師像

雲照律師

真言宗の僧。仁和寺三十三世。大僧正。出雲生。姓は渡辺、字は大雄。高野山に学ぶ。明治維新に伴う廃仏毀釈に際して仏教復興に奔走、また慈雲尊者が提唱した十善戒の戒律運動の普及につとめた。明治時代を通じて仏教界第一の傑僧と称せられる。明治42年(1909)寂、83才。(kotobank)



御影堂内部

左は、嵯峨天皇
右は、秘鍵大師(弘法大師)



御影堂の蔀戸も宸殿に負けず素晴らしい



御影堂 裏側



霊明殿から御影堂を臨む

大覚寺 御影堂からの景色


御影堂前の燈籠

左が安井堂、中央建物が五大堂(本堂)



宸殿側から見る燈籠



御影堂前の燈籠

大覚寺 安井堂(御霊殿)


安井堂内部

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 京都東山にあづた安井門跡蓮華光院の御影堂を、明治4年(1871)に移築しました。安井堂は御霊殿とも呼ばれます。

 堂内部は、内陣の格天耳鏡板に花鳥などが猫かれています。その奥を内々陣といいますが、折上の鏡天井に壮麗な雲龍が描かれています



御影堂から雲龍図のある安井堂を見る



安井堂内部



内陣の格天耳鏡板に花鳥などが猫かれています



安井堂内陣

大覚寺 五大堂(本堂)


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 江戸時代中期(天明年間)に創建され、現在は大覚寺の本堂となっています。

 不動明王を中心とする五大明王が安置されていることから、このように呼ばれています。

 大沢池のほとりにあり、正面5間、側面5間の広さで、正面には、吹き抜けの広縁があります。

 大沢池に面する東面には、テラス状に、池に張り出す広いぬれ縁(観月台)があります。そこからは大沢池を見渡せます。

 正面中央は双折桟唐戸、両脇各2間は蔀戸となっています。



宸殿から五大堂(本堂)の望む



御影堂前前から見る五大堂(本堂)

左が安井堂



正面には、5間の吹き抜けの広縁があります。

五大堂東側からは大沢池を見ることができます



五大堂(本堂)
正面中央は双折桟唐戸、両脇各2間は蔀戸

写経場にもなっている



五大堂濡れ舞台から、大沢池北側方向



五大堂吹き濡れ舞台から見る五社明神



五大堂から基壇越しに宸殿を望む



五大堂(本堂)と宸殿



五大堂から勅使門を見る



大沢池の方向に伸びる五大堂濡れ縁から鐘楼方向を見る


 
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