HOME 名所旧跡 経営コンサルタントへの道 経営コンサルタント 経営情報 グロマコン

私が訪れた名所旧跡です。

コンパクトカメラやスマホで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。

神奈川県  観音崎 2 

■ 三浦半島(みうらはんとう)

 神奈川県南東部にあり、東京湾を形成する半島です。

 「みうら」という地名は古代から用いられていて、『日本書紀』では「御浦」(みうら)と記載されています。当時は朝廷の所領でしたので、このように「御」をつけて呼ばれていたようです。

 『万葉集』では半島全体を指して「御宇良崎」と「御」という文字が含まれています。しかし、その後「御」の字が避けられるようになり、当て字が使われ『新編相模国風土記稿』では「美宇羅」とされました。

 今日、「三浦」と呼ばれていますが、半島が東・西・南の三方の浦(湾、入り組んだ海岸など)で囲まれていたからであるといわれています。

 

■ 観音崎(かんのんざき)

 神奈川県横須賀市に位置する岬のことで、岬周辺の地域を表す地名としても用いられることがあります。

 観音崎は、三浦半島東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面し、対岸の房総半島富津岬までは、わずか7km程の近さです。

 半島の先端に、日本最古の灯台である「観音埼灯台」があります。

 灯台付近は「県立観音崎公園」として整備され、観音埼灯台が立地するほか旧日本陸軍が明治10年代から20年代にかけて建設した砲台や弾薬庫跡が多く残っています。

 園内には、このほかに、1953年創立の観音崎自然博物館や、2007年に開館した横須賀美術館があります。

 また、園内には、墓と見られる多くの横穴が崖にみられます。また、海上保安庁東京湾海上交通センター(とうきょうマーチス)の観音埼レーダー施設も公園内にあり、灯台より、この施設の塔のほうが処々から見えます。

 観音崎海水浴場が隣接していて、夏季は海水浴客で賑わいます。他に海上自衛隊観音崎礼砲台があります。

 「観音崎」という名称の由来として、741年(天平13年)に、行基が、この地の海蝕洞に住む大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったことから、「観音崎」と呼ばれるようになったようです。

 江戸時代には観音堂など堂宇が創建されて仏崎山(ふだらくさん)観音寺と称し、幕府から朱印地を与えられていました。

 観音寺は、1880年(明治13年)に陸軍の砲台建造が始まると、現横須賀鴨居へ移転されました。1986年(昭和61年)には、火災のため焼失してしまい、現在は小さな堂が残っているだけです。




 神奈川県三浦半島 海辺とボードウォーク
























東京湾海上交通センターのアンテナ塔






 







 神奈川県三浦半島 観音崎と歴史




 神奈川県横須賀市に位置する岬のことで、岬周辺の地域を表す地名としても用いられることがあります。

 観音崎は、三浦半島東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面し、対岸の房総半島富津岬までは、わずか6~7km程の近さです。





↑ 拡大


 「観音崎」という名称の由来として、741年(天平13年)に、行基が、この地の海蝕洞に住む大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったことから、「観音崎」と呼ばれるようになったようです。

 江戸時代には観音堂など堂宇が創建されて仏崎山(ふだらくさん)観音寺と称し、幕府から朱印地を与えられていました。

 観音寺は、1880年(明治13年)に陸軍の砲台建造が始まると、現横須賀鴨居へ移転されました。1986年(昭和61年)には、火災のため焼失してしまい、現在は小さな堂が残っているだけです。





↑ 拡大

数々の神様が観音崎に関係しています。




 「観音崎」という名称の由来として、741年(天平13年)に、行基が、この地の海蝕洞に住む大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったことから、「観音崎」と呼ばれるようになったようです。











↑ 拡大




↑ 拡大

この付近に「観音崎」という地名の由来となった
「観音寺」がありました。

 江戸時代には観音堂など堂宇が創建されて仏崎山(ふだらくさん)観音寺と称し、幕府から朱印地を与えられていました。

 観音寺は、1880年(明治13年)に陸軍の砲台建造が始まると、現横須賀鴨居へ移転されました。1986年(昭和61年)には、火災のため焼失してしまい、現在は小さな堂が残っているだけです。

 神奈川県三浦半島 観音崎公園



↑ 拡大

 半島の先端に、日本最古の灯台である「観音埼灯台」があります。

 灯台付近は「県立観音崎公園」として整備され、観音埼灯台が立地するほか旧日本陸軍が明治10年代から20年代にかけて建設した砲台や弾薬庫跡が多く残っています。

 園内には、このほかに、1953年創立の観音崎自然博物館や、2007年に開館した横須賀美術館があります。

 また、園内には、墓と見られる多くの横穴が崖にみられます。また、海上保安庁東京湾海上交通センター(とうきょうマーチス)の観音埼レーダー施設も公園内にあり、灯台より、この施設の塔のほうが処々から見えます。










↑ 拡大

観音崎灯台に関する石碑



↑ 拡大











風の強さを物語る低木

お地蔵様を守ってくれているのでしょう







宮崎海岸の鬼の洗濯板そっくり



 神奈川県三浦半島 横須賀美術館




■ 横須賀美術館
     http://www.yokosuka-moa.jp/

 観音崎公園の豊かな緑が三方を囲み、目の前には東京湾が広がる恵まれた環境の中にある美術館です。

 山と海のどちらからでも自由に館内に出入りすることができるので、灯台や砲台跡など自然や歴史と合わせて美術をお楽しみください。

住所 〒239-0813 神奈川県横須賀市鴨居4-1
連絡先 電話 046-845-1211
開館時間 午前10時~午後6時
休館日 毎月第1月曜日(祝日の場合は開館、年末年始12月29日~1月3日)

アクセス 電車とバス

 JR横須賀線
  「横須賀駅」から「観音崎」行きバス
  横須賀駅からのバス所要時間は約35分です。
  のりば  系統 主な経由地
   3 須24  横須賀中央駅・日ノ出町
   3 須24  横須賀中央駅・米ケ浜
   3 須28  観音崎自然博物館(休日のみ運行)

 京浜急行線
  「浦賀駅」から「観音崎」行きバス
  浦賀駅からのバス所要時間は約15分です。
  のりば  系統 主な経由地
   1 浦3  鴨居
   1 堀25 鴨居

 京浜急行線
  馬堀海岸駅西友前からも上記バスに乗車できます。





美術館へのアプローチ

緩やかなスロープになっています



美術館入り口

左がレストラン、右がミュージアムショップ

レストランは予約すると見晴らしの良い席が取れます



谷口六郎美術館

横須賀美術館の別館


 
観音崎1   観音崎3

 神奈川県三浦半島観音崎1 馬堀海岸、ホテル観音崎 
 神奈川県三浦半島観音崎2 観音崎海岸、ボードウォーク、横須賀美術館 
 神奈川県三浦半島観音崎3 観音崎の歴史、観音崎公園、観音崎灯台
 神奈川県三浦半島観音崎4 走水神社
 神奈川県三浦半島観音崎5 走水地区(大泉寺、円照寺、覚栄寺ほか)
 名所メニュー一覧


 
 
  ↑ top 
ホームページ  経営マガジン 経営トップ・管理職 経営コンサルタント コンサルタントへの道 会社概要 お問い合わせ  
Copyright© N. Imai All rights reserved