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私のサイトへの訪問をありがとうございます。
へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。
他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。
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http://www.sankeien.or.jp/history/index.html |
三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。
三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図)
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原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。
原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。
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(以上 三溪園Webサイトより作成) |
【アクセス】
横浜駅東口2番乗り場《市バス8・148系統急行》約35分。桜道または本牧三溪園前バス停で下車して徒歩5分。入園料:500円
催しものがあるときには、自販機ではなく、受付でセット券を購入すると割引になります。
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大 池 |
ボートが一隻、ポツン
三渓記念館を臨む
三溪記念館では、三溪園の創設者・原三溪に関する資料やゆかりの作家作品や美術工芸品、臨春閣の障壁画などが展示されています。
特別展などの催し会場にもなります。
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楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成され、結婚式などに利用できます。上空から見ますと鶴が飛び立つ様を思わせることから、この名がつけられました。
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蓮花亭を鶴翔閣前の池越しに臨む。
手前の松は芸術的な造形です。 |
蓮花亭を鶴翔閣前の池越しに臨む。 |
大池に浮かぶ蓮花亭と観心橋
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蓮花亭の左の橋は、観心橋 |
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三溪園の建物 |
鶴翔閣
1902年(明治35年)三溪が建てました旧原家住宅で、ここから三溪園の造成が始まりました。今日では横浜市指定有形文化財にしていされています貸出施設です。大規模な日本間や広大な前庭を有し、茶会、句会などの日本的文化活動の場はもとより、国内外の賓客接遇、結婚披露宴、演奏会や展示会など、幅広い用途に利用されています。
広さ290坪に及ぶこの住宅は、主に、楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成されています。上空から見た形が鶴の飛翔に見えることからこの名が付けられました。
鶴翔閣には、日本を代表する政治家や文学者が集い、横山大観、下村観山といった日本美術院の画家が創作活動のために滞在しました。今村紫紅もその一人です。(三溪園公式サイトを参照して作成)
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楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成され、結婚式などに利用できます。上空から見ますと鶴が飛び立つ様を思わせることから、この名がつけられました。
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[市指定有形文化財]
京都東山の西方寺にあった薬医門を移築
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京都のお寺にありましたもんを移築したのですから当然のことですが、お寺の雰囲気を醸し出しています。
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正面奥が白雲亭です。
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