亀ヶ谷切通 |
浄智寺から鎌倉街道に戻り、右手に長寿寺を見ながら右折しますと、ひんやりした風の通う亀ヶ谷坂切り通しの上りとなりました。
ゆっくりと登ってゆきますと下り坂になるところに案内板があり、かつては建長寺や円覚寺と鎌倉中心街を結ぶ重要な街道であったとあります。いまは、バイクのみが通行を許される切り通しです。
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鎌倉街道から、二股に分かれた道を探していました。
ところが建長寺が見えてきてしまい、
曲がるべきところを通り過ぎたことに気がつきました。
「こんな狭い道?」と思うような
地図上で見る二股というより
直角になっている小道を入りますと
数分で切通らしい風景になってきました。
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切通ですので、両脇は切り立った崖です。
地蔵菩薩の旗が見えました。
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切り通しの頂上付近
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薬王寺 |
坂をほぼ下りきったところに薬師寺の看板がありました。坂を登ってゆくようですので、残りの行程のことを考え、参拝は諦めました。
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大乗山薬王寺は、日蓮宗で、
日蓮の孫弟子であります日像上人による開山
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家光の弟、駿河大納言忠長の供養塔などがある
由緒あるお寺さんですが、坂を登らなければならず
体力と時間のことを考え、入口で失礼しました。
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岩舟地蔵堂 |
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亀ヶ谷切通を下り、薬王寺を右手に見ながら、そのまま下ってゆきますと、右手角に源頼朝の息女・大姫の念持仏と伝えられています岩舟地蔵堂がありました。真新しい堂内には白顔の地蔵が安置されているというのですが、よく解りませんでした。
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まだ、真新しいお堂でした。
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【参考資料】
北鎌倉駅から歩き、亀が谷切通しを下った丁字路のところに岩船地蔵がある。最近造り直されて新しい建物になってしまって寂しい感がする。
堂内には白顔の地蔵が安置されている。源頼朝の息女・大姫の念持仏と伝えられている。日本三大岩船地蔵の一つである。
大姫は不幸な娘であった。人質で鎌倉へ来ていた木曽義仲の嫡男・義高と馴染んでいた。木曾義仲が近江粟津で源頼朝の追討軍に殺害された後、頼朝は人質であった義高も殺害した。
義高が殺害された後、大姫はノイローゼとなり頼朝、政子の祈願も空しく、建久8年(1197)、20歳の若さで亡くなった。哀れな死をいたむ北条、三浦、梶原など多くの人々が、この谷に野辺の送りをしたと伝えている。木曽義高の墓は常楽寺の裏山にある。
http://www.kamakura-burabura.com/meisyokamakuraiwafunejizou.htm |