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顕教と密教

◆ 顕教とは

 顕教とは、お釈迦様の教えを素直に伝え、それを真理とする考え方です。大乗仏教ともいわれます。

 お 釈迦様は人間として悩み 、苦しみ 、修行 して 仏となったのですが、仏となったということは絶対真理と合一 したこ とを意味します。すなわち、お釈迦様が、仏になったということは、人間世界をお釈迦様の世界に導くことができるとい うことに通じます。換言しますと「絶対真理」、すなわち、仏教でい う「」とか「真如」として現 れる存在になっ たわけです。これは「如来」の考え方のことです。

 釈迦様は、釈迦の形だけでなく、阿弥陀如来になっ たり、薬師如来であらわれたり、と釈迦以外の如来になって現れることができるのです。

 仏とは元来、解脱し、真理の会得者、覚者と して如来のみをさしてい ましたが、 いろいろな 如来を認めたことにより、如来、菩薩、天部の三つの階層が出来てしまいました。この三階層に加え、密教系の明王や祖師像などを合わせ、現在では五部門と分類するのが一般的です。

◆ 密教とは

 顕教に対して、お釈迦様の教えを超越して、真理や解脱の方法を伝える考え方を、密教と言います。

 イン ド土着の原始宗教の神であった姿を取り入れ、仏教と結びついて誕生しました。山や川、森など自然に対して神々が祀られ、村人や住民たちは、それぞれに独自の崇拝のしかたをして敬ってきた。釈迦の教えと土着の神の祭祀法の合体させて悟りの道を説こうと、裏から見た釈迦の悟りへの道を重視しているといえます。

 また、聖林寺の 観音様は、十一 面観音といい 、頭の上に十の顔があり、合計十一の顔を持つ観音様です。普通の人間にはない、多頭やたくさんの目、何本もの手や足を持つこ とによって、人間の思考を超えた仏の 素晴 らしさ を表現しようとしています。
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◆ なぜ顕教が生まれたか

 顕教と密教が分離する前の誕生後の仏教は、弟子や 信者は 、釈迦の教えをきちんと守り、釈迦の生活や戒律そのもの を遵守することに情熱を燃やしていました。

 しかし、やがて釈迦の日常の生活や行動、教えを遵守すべきという考えで「上座部」と呼ばれる厳格主義者・生真面目派、と信者や僧は悟りを求め修行するこ とが大事であるという「大衆部」の寛容主義者・穏健派に分離することになりました。

 上座部の人達は、「教えを守ることはかたちを守ること」で、それを守らないのは破戒僧だと、大衆部の人達を非難するようになりました。上座部は、密教系で、以前は「小乗仏教」と称し、東南アジア方面へと進展して行きました。

 それに対して大衆部の人達は、「上座部は、形式にこだわり過ぎて本質を見失っている」とし、釈迦の本質を伝え、仏の理想を求める「大乗の教団」として、顕教系としてインドから中国や朝鮮半島を経由して日本へ伝わってきました。
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◆ 日本における顕教の分派化

 日本においては、顕教はさらに分化してゆきました。

 仏教伝来時の聖徳太子の時代は、法華経でした。その後「南都六宗」に分派しました。

   三論
   法相
   華厳
   律
   成実(じょうじつ)
   倶舎(くしゃ、ぐしゃ)

  南都六宗に分派した後にも、さらに浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗への分派をして行きます。

 顕教は、さらに「自力本願」と「他力本願」へと分化が進みます。

自力本願」とは、修行し、勉強して、悟りへの道に勤しむという、本人の修行姿勢を基本としました。

それに対して「他力本願」とは、すべてを仏にまかせて、仏の力で解脱するという、ひたすら祈ることに重点をおきました。ここに属するのが浄土宗や浄土真宗です。

 自力本願と他力本願というのは、顕教だけのことではなく、密教においも分派が起こり、他力本願に属する宗派として、天台宗や真言宗があります。
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